この記事はに配信されたメールマガジン「ティータイム通信」コラムの復刻版です。当時のクリエイティブ担当・佐々木が、七夕にまつわるエッセイを綴りました。
※役職は配信当時のもので、現在は変更または退職している場合があります。
さて、これまで見てきましたように、近代国家の仲間入りを果たそうと躍起となっていた頃の日本において、本格的な西洋料理の受容はとくに重視されるトピックでした。
2023年7月1日コラム
タレーランと饗宴外交
それは宮中をも巻き込んだ、まさに一大国家事業であり、そうしたなかで国産の本格的な洋食器の開発も進んでいくことになったわけです。
では、そもそもどうして、それほどまでに料理が重要だったのでしょうか。
これには、国家と国家を取り結ぶ近代的な外交のあり方が深く関わっています。端的に言ってしまえば、とても古典的なことではあるのですが、交渉を有利に進めるためにはまず相手の胃袋を掴むということが、ヨーロッパ外交の基本中の基本だったのです。
有名な逸話があります。19世紀の初頭のことです。フランスにタレーランという老練な外務大臣がおりまして、彼は料理を使った外交術を天才的に駆使した人物でした。本人曰く、腕利きの料理人を用意してくれれば外交交渉において最高の合意を取り付けてみせる、と豪語したといわれます。
実際、タレーランは、当時のフランス料理界きっての実力者であったアントナン・カレーム―「シェフの王」とまで呼ばれたといいます―を随行して、かのウィーン会議に乗り込み、各国の代表に美食と美酒を惜しげもなく振る舞って相手の胃袋と心を掴んだのです。ナポレオンの敗北によって敗戦国となったフランスでしたが、この巧みな饗宴外交によって交渉をリードし、大きな成果を得ることができたのでした。
不平等条約を押し付けられて、西洋列強からは対等の国家とみなされていなかった明治初期の日本としても、この苦境を脱するためには、まずもって相手の胃袋から攻略していく必要があったわけです。
それゆえ、先に述べたように、宮中でも両陛下自ら西洋料理作法の稽古を積まれるなど、真剣な取り組みがなされました。こうした涙ぐましい黎明の時期を経て、明治21年に和洋折衷の壮麗な明治宮殿が宮城内に建設されたことで宮中饗宴は大きく発展することになります。大宴会場である「豊明殿」が、数々の諸外国との交流の歴史的舞台の役割を果たしたのです。
もちろん、明治後期に不平等条約が撤廃されて以降も、皇族が外国の賓客をもてなす饗宴は、日本の国益をかけたきわめて重要な催事であり続けました。大正の初めから半世紀以上にわたって「天皇の料理番」を務めた秋山徳蔵は、まさに激動の時代を常に第一線で諸外国と対峙してきた百戦錬磨の「戦士」であったといえるでしょう。
ところで、宮中の饗宴が午餐つまり昼食会や正餐つまり晩餐会として催されることが多いことはよく知られていますが、そこに招かれる外国の賓客には訪問の形式によって違いがあることはあまり知られていないかもしれません。
現在の日本においては、国賓、公賓、公式実務訪問賓客などというふうに区分されています。そのうち国賓は国家元首やそれに準ずる者、公賓は外国の王族や行政府の長あるいはそれに準ずる者、そして公式実務訪問賓客は国公賓に準じ、実務を主たる目的として来日した者ということになっています。
ここで注目すべきは、こうした賓客の形式的な区分があったとしても、またそれぞれの国の大小や日本との関係の深浅といったものがあったとしても、すべての賓客を分け隔てなく平等に扱うというのが日本の宮中饗宴の大きな特徴になっていることです。
たいていの国は、訪問の形式やその国の重要性などに合わせて対応を変えるのが普通なのですが、日本の場合はどんな差も設けず、いついかなるときも最高級の料理でもてなすことが伝統となっています。それはたとえばワインにおいても顕著で、赤白ともにフランスの最高級ワインが常にテーブルにのぼるのです。
まさに日本の「おもてなし」の精神であり、それはひとえに天皇の大御心というほかありません。
麗しのボンボニエール
さて、このように明治以来の宮中饗宴は、西洋の形をありのまま取り入れることから始まりながらも、そのうちに日本独自のあり方を育んでいくことになりました。
そして実は、日本の宮中饗宴の独自性はそこで用いられる洋食器にもしっかりと表れています。とりわけ、宮中晩餐会の記念として等しく配られる菓子器、すなわち「ボンボニエール」をその筆頭とすべきでしょう。
どうやらすでに明治20年代から、特製の愛らしい小さなボンボニエールに金平糖などをつめて宮中晩餐会の招待者にお土産品として持たせるということがおこなわれていたようです。
いうまでもなく、日本には古来より引き出物の文化がありますが、これがどういうわけか西洋のボンボニエールと出会い、今日まで宮中饗宴の「名物」として招待者たちを喜ばせてきました。
その材質はさまざまで、多くは銀製ですが、木や竹、あるいは陶製のものもあります。一方意匠もきわめて多彩。銀の小箱に七宝で菊の御紋をあしらったものから、豪華な蒔絵を施した手箱型のものもあれば、戦時中などは飛行機や兵器を模したものまで、細かな細工で丁寧に作られたものばかりです。
敗戦後、十一の宮家が皇籍を離脱したことによってボンボニエールの配布は大きく減ることになりましたが、いまでも皇室の慶事においてボンボニエールが引き出物として作られています。
明治以来、日本が西洋世界に向き合いつつ、自らの個性を発揮してきた軌跡というものが、これら小さなボンボニエールには凝縮されているように感じられます。
その肆へつづく
参考文献一覧:長佐古美奈子『ボンボニエールと近代皇室文化』(えにし書房、2015年)、宮内庁三の丸尚蔵館編『皇室とボンボニエール』(宮内庁、2017年)、扇子忠監修『皇室のボンボニエール』増補新版(阿部出版、2019年)。
「「誰に対しても平等に、最高のものを」美智子さまから雅子さまに受け継がれた“おもてなし”とは?」https://bunshun.jp/articles/-/13412
「華麗なる“美食外交”の舞台裏「大統領の料理人」は知っている」
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