来年の事を言えば鬼が笑う

この記事はに配信されたメールマガジン「ティータイム通信」コラムの復刻版です。当時のショップスタッフ三宅川が、新春・クリスマス・歴史にまつわるエッセイを綴りました。
※役職は配信当時のもので、現在は変更または退職している場合があります。

今年は長い長い夏のせいで、皆さんちょっと季節の感覚が狂っていませんか?ようやく秋が来たと思ったのも束の間、そろそろクリスマス。そう言っているうちに来年の企画も立てなくては!と11月に入りバタバタとあせっている理由を気候のせいにしているのは私だけでしょうか?

実をいうとこのコラム、来年の干支にちなんで「うさぎ」を特集してみようか・・・と思い書きかけていましたが、今から「来年の事をいうと鬼に笑われる??」と思い直しテーマを変更しました。

というわけで、この季節になるとよく聞く『来年の事を言えば鬼が笑う』ということわざについて特集してみたいと思います。

京都・上方のいろはかるたにに詠まれた諺。「いろはかるた」 は、江戸中期に京都で作られ、大阪・尾張・江戸に広がったといわれます。「色は匂へど散りぬるを、我が世誰そ常ならむ、有為(うい)の奥山今日(けふ)越えて、浅き夢見し酔(え)ひもせず」という 「いろは歌」 47文字と、「京」 を合わせた 48文字を、句の頭において作った短歌のかるた。詠まれた詩は地方によって異なります。

【由来】明日何が起こるかわからないのに、来年のことなどわかるはずはない。予測のつかない先の事をあれこれ言ってもはじまらないという意味で用いられるこの諺。

何故鬼が笑う?という素朴な疑問の答えは諸説あるようですが、その一部をご紹介します。

1.死者を裁く裁判官である閻魔大王が持っている閻魔帳。ここには年内の訪問予定者が書き込まれています。そして、ここに名前があるとも知らずに来年の予定を夢や希望をもって語っている人間を見て、閻魔大王やその手下の鬼達が嘲笑っている。なんだかゾッとする話。

2.島根の民話でこんなお話があります。

突然の病でころりと死んでしまった相撲取りが、死者を極楽へ送るか地獄へ落とすかを決める裁判官・閻魔大王に、こんなことを聞かれました。「お前は生きている時、何をしていた?」「はい、わたしは相撲をとって、みんなを楽しませてきました」それを聞いた閻魔様は、その相撲取りを極楽に送ることを条件に、手下の中で一番強そうな鬼と「相撲を取ってみよ」と命じます。

相手が鬼でも、相撲なら負ける気がしない相撲取りは、これを快諾。「はっけよい、のこった」の掛け声とともに、鬼を投げ飛ばしてしまいました。投げ飛ばされた鬼は岩に頭を打ちつけて、大切な角を折ってしまいました。わんわんと泣き出すこの鬼に困った閻魔様。「もう泣くな。来年になったら、新しい角が生えるようにしてやる」そのとたん鬼は泣きやんで、ニッコリと笑いました。そんなことがあってから、『来年の事を言うと鬼が笑う』と、言うようになったそうです。

こんな可愛い鬼さんなら、一度会ってみたいような気がします。

3.現在の奈良県曽爾(そに)村に伝わるお話。この村では、年越しの際に豆を炒る習慣がありました。最初に炒った豆は神様に、次は自分達の食料に、最後は豆まき用。庭に撒いても芽が出ないように真っ黒になるまで炒り続けます。そんな豆まきにまつわる鬼のお話。

昔むかしこの村に、時々やってきては牛や鶏を獲ったり、娘をさらう鬼がおりました。困った村人がお殿様に陳情したところ、賢いお殿様は「鬼と喧嘩しても、力で勝てはしない。知恵を使って騙してやろう。」と鬼に使いを出しました。

「もし、年越しの豆に芽が出るのを見つけたら、一国の殿様にしてあげよう。だからこの村を襲うのはやめなさい」それを信じた鬼は、それから毎年年越しの豆の芽を探しに国中を走りまわりましたが、真っ黒に炒った豆に芽が出るはずがありません。

ところが鬼の執念でしょうか、ある春の日、どういうわけか芽が出た豆を見つけ出しました。鬼は大喜びでお殿様のもとに走りました。

しかし、それを確認する為に役人を連れて見つけた場所に戻ったところ、必死に探しても一向に芽は見つからない。そう、鬼がお城に向かっている間に村人がこっそり引っこ抜いたのです。見つけられずに哀しくなった鬼はとうとう泣き出してしまいました。それを見た役人も可哀相になって「来年も年越しがあるよ。その時また探したらいいじゃないか。」と泣いている鬼を励ましました。鬼は泣くのを止めて「そんな先の話をしやがって・・・」と笑いだしたそうな。

鬼に笑われたって構わない!限定品は早いもの勝ち。

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「器の愉しさを、もっと身近に」という想いを胸に、代々のスタッフがバトンを繋いできた食卓のエッセイ集です。ある時は 古典文学に想いを馳せ、ある時はイースターの食卓を飾り付ける。京都発、器が大好きな私たちの、ちょっとマニアックで愛おしい「器と文化愛」が詰まったコラムたち。数十年にわたり、メールマガジンを通じて数万人の器ファンに届けられたコラムを復刻しています。