この記事はに配信されたメールマガジン「ティータイム通信」コラムの復刻版です。当時のル・ノーブル編集部が、新春にまつわるエッセイを綴りました。
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今年は寅年のなかでも珍しいもので、「五黄の寅」という、36年に一度の画期となる年だそうです。
2022年1月1日コラム
中国の古くからの占いである九星で用いられる魔法陣。その中央に位置する五黄は、ほかの8つの星をしのぐ強い力をもつとされます。この五黄がめぐってくる年が、十二支のなかでも最も猛々しい存在である寅にあたると、相乗効果と申しましょうか、すこぶると激しい運気を生みだすものと、昔の人は考えたようです。
ですので、五黄の寅年の人は、創造と破壊といった変革を象徴するような性質の星のもとに生まれついたことで、その影響を強く受けていると解されるようになりました(もちろんあくまで占いの世界のお話ですが。)
この年の生まれには、多士済々、幅広い分野でさまざまに活躍した人々が多くいます。たとえば、前回の五黄の寅年である1986年を一瞥すると、陸上選手のウサイン・ボルトや歌手のレディー・ガガといった、時代を画すような世界的な著名人も見受けられます。
そこからさらに36年ごとにさかのぼっていけば、こんな人の生まれ年でもあったかと興味の尽きないところですが、ただソ連の独裁者であったスターリンの名を見つけたときなどは、「ほほぉ」と驚きの声とも納得の呻きともつかないものが漏れたりもします。
ひるがえって、わが焼き物の世界ではどうでしょう。五黄の寅年生まれの巨匠となると、やはり川喜田半泥子をおいてほかにはないように思います。
1878年(明治11年)、三重は津の豪商、川喜田家の第16代目当主として生を受けた半泥子は、本名を久太夫政令(きゅうだゆうまさのり)といい、百五銀行を皮切りに多くの銀行を経営したほか、津市や三重県の議員として政治の世界でも活躍する一方で、50歳を過ぎてから本格的に陶芸の道にはいり、数々の傑作を生みだした生粋の数寄人でもありました。
「東の魯山人、西の半泥子」というふうに、書と陶と食の巨人であった北大路魯山人と並び称され、桃山時代から江戸初期にかけて多方面で活躍した天才、本阿弥光悦と比されて「昭和の光悦」と呼ばれるなど、まさに現代を代表する芸術家であったことは誰もが認めるところでしょう。
ところで、半泥子は自分が五黄の寅の生まれであることを、ずいぶんと気に入っていたようです。寅に関連する美術品を数多く収集し、また自らの作品のモチーフにもするなどしています。なかでも「とら大臣」と銘打った自作の井戸手茶碗は、その卓越した作陶の技量と豊かな精神性とが茶目っ気にくるまれて、観る者を悦ばせずにはおきません。
半泥子のユーモアは、彼が用いたいろいろな号やペンネームにも垣間見えます。鳴穂堂主人(なるほどうしゅじん)、莫迦耶盧(ばかやろう)、部田六郎(へたのろくろう)など、人を食ったような珍妙なもののなかに、「無茶法師」なるものがあります。
この別号の由来については本人が自著『随筆 泥仏堂日録』のなかで次のように説明しています。
無茶法師とは其生れ星とやらが五黄で、干支が寅であるために、或るものが五黄の寅は無茶星だ、といったのから思いついて自ら無茶法師と名乗ったのである。禅宗でも浄土でもない。轆轤〔ろくろ〕宗とでもいって置くか。
無茶法師の日記の体をとるこの随筆集は、土と戯れる日々の彼の芸術観と人生観が縦横に滲み出しており、稀代の作家を知るうえでこの上ないものとなっています。
本書のなかで山場のひとつといえそうなのは、「北大路さん」と題された回でしょうか。いうまでもなく、北大路さんとは北大路魯山人のことで、半泥子が鎌倉の魯山人宅を訪れた夏の一日のことが書き留められています。
やはりもとよりお互い意識する間柄であったようで、半泥子にいたっては魯山人に対する結構な辛口の批評を随筆に記していたりしていますが、じっくりと対面したのはこのときが初めてだったようです。
ところが会うなり二人は意気投合。焼き物のことはもちろん、魯山人宅にある古い木の碗や盆、吉野絵の碁桶や長押の釘隠しといったものまで引っぱり出してきて語り合い、ゆうに9時間半もしゃべり通すことになったといいます。
傲慢不遜とよく言われる魯山人ですが、半泥子とはともに余人の及ばない芸術的な高みにあったからこそ、気心が通じ合えたのでしょう。魯山人は「あなたも自由人でお幸せですネ」とたびたび口にし、半泥子はその「自由人」の意味を「つまり昔からの約束や、型に捕らわれないで、物を眺め、楽しむことが出来る自由さのある」者だと受け取りました。
半泥子はこの日の両人の様子を、はた目から見れば、「子供が二人仲良く遊んでいるように見えたであろう」とも語っています。なにものにもとらわれない子供のような無邪気な自由さが二人の共通点であることを、互いに認め合っていたというわけです。
彼らの芸術の核心にあったものが何であったのかが、この夏の一日の「遊び」の様子には凝縮されているようです。おそらくどんな時代にあっても、真に新しいものを生み出してきたのは、こうした「自由人」ではなかったでしょうか。しかし現代はとかくその精神が失われがちであるようにも感じます。
今年はせっかくの珍しい五黄の寅年、まさに勇猛果敢な変化の年ですので、半泥子や魯山人はもちろん世界中の「自由人」の精神の軌跡をたどってみることで、芸術と文化について深く深く学びたいものです。
本コラムでその一端を少しでもお伝えできればと思いますので、今年もお引き立てのほどどうぞよろしくお願い申し上げます。
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