この記事はに配信されたメールマガジン「ティータイム通信」コラムの復刻版です。当時のバイヤー・辻が、北欧・歴史・梅雨にまつわるエッセイを綴りました。
※役職は配信当時のもので、現在は変更または退職している場合があります。
代官山のイメージはよく「街全体がおしゃれ」、「隠れ家的なショップが多い」、「「緑が多い」と表現されます。晴れた日に緑あふれるオープンカフェでお茶と語らいを楽しむ人達、ベビーカーを押しながら散歩をするおしゃれな女性たち、そんな風景を代官山を歩いているとよく見かけます。
おしゃれで新しい街としてのイメージの代官山ですが、その歴史は古く、デンマーク大使館をはじめとする各国の大使館が立ち並ぶことからわかるように非常に由緒ある場所なのです。
その代官山に今春4月25日、東京では2店舗目となる「ル・ノーブル代官山店」がオープン致しました。そこで少しですが代官山の歴史をご紹介したいと思います。
代官山の由来
代官山という名前の由来を残す歴史資料は残っていませんが、代官山という名前が登場したのは江戸時代と言われています。その名が示すように代官の屋敷があったからだという説が有力なようです。
元々は山という漢字が示すように地域全体が山林で、今のような形になったのは関東大震災後のことです。
住宅地としての代官山
明治、大正、昭和初期までは軍人や官僚、実業家などの大きな屋敷があるだけの街でしたが、変化があったのは昭和2年に建設された「同潤会代官山アパート」の登場でした。
関東大震災を教訓に不燃性の鉄筋コンクリート造りの住宅街が作られ始めた当時もっとも広い敷地に作られたのが同アパートで、当時としては珍しい水洗トイレやダストシュートが設置されていました。またこの時期東急東横線も開通して多くの住人が代官山に移り住んできたのです。
ヒルサイドテラスの誕生
1968年、旧山手通り沿いにそれまで住宅地であった代官山に新しい商業環境が登場します。それが今も代官山のランドマークである「ヒルサイドテラス」です。
ヒルサイドテラスは昔から代官山に住んでいた朝倉家と建築家・槇文彦氏によって作られた都市型複合施設で、68年に完成したのはA棟、B棟の2棟だけ。そこから30年の長い時間をかけて少しずつ棟を増やし今の形になりました。
同じ建築家の手によって30年以上も進化し続けてきたヒルサイドテラスは建築的評価も高く、歴史ある代官山に品格を加えてくれたのでした。
代官山アドレスの誕生
築50年を過ぎた同潤会代官山アパートは1975年頃から建て替えを望む住民の声が上がり始め、2000年ついに「代官山アドレス」が誕生しました。高さ120m、36階建てのザ・タワーを中心にした5棟の住宅棟、都市生活者のためのお店が集まったアドレス・ディセ、スポーツ施設、公園、広場、集会所などそれまで代官山にはなかったスケールと多機能性をもったこの複合施設は代官山の新しいシンボルとなったのです。
ヒルサイドテラスが誕生して約40年、代官山アドレスが誕生して10年が過ぎ、代官山に新しいカルチャー発信の施設が誕生しました。「代官山蔦屋書店」の登場です。
「代官山に文化の森を」というコンセプトを掲げ、訪れる人達に本、映画、音楽を通してライフスタイルを提案し続けてくれています。
このような歴史を背景に代官山は今のような洗練された街へと変化してきました。駅前に大型デパートや商業施設があるのではなく、「ヒルサイドテラス」や「蔦屋書店」に代表されるこだわりのある場所が点在する代官山は、上質な生活がある街として少し時間もゆっくり流れている雰囲気もあるような気がします。
「ライフスタイルを楽しむ街」代官山にみなさんもぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか?
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