この記事はに配信されたメールマガジン「ティータイム通信」コラムの復刻版です。当時のEC運営スタッフ・長田が、花瓶・歴史・梅雨にまつわるエッセイを綴りました。
※役職は配信当時のもので、現在は変更または退職している場合があります。
「景徳鎮」コラムの第二回は、中国・景徳鎮へ行った時の「景徳鎮紀行」をご紹介します。
2005年1月末。北京からの直行便で光りに乏しい街を見下ろしながら、景徳鎮の空港に到着。降り立つと、暖冬とは言え長く伸びた白い息が目に止まる。お世辞にも空港のロビーとは言い難い、待合室のような小部屋でターンテーブルから荷物を拾い上げる。小さなメッセージボードを掲げたホテルマンのお出迎えも探すことなく目が合う。
チェックインしてすぐ、ホテルの中で食事をとる。北京の2日間ですでに中華料理に飽き気味となっていた。あくまでも好みであるが、日本の中華料理とは味付けが異なる中、「チキン」の類はあまりはずれがなかった。その夕食の唯一の美味は中国風に言うと「唐揚的手羽先」。ちょっときつめのにんにく風味と、ちょっとまぶし過ぎの唐辛子がビールとよく合い空腹感を誘った。中国ビールの代表といえば、青島(チンタオ)ビール。女性の方でもあまり癖がなく飲みやすい、ちょっとライトな感じ。でも、中国で冷えたビールは期待できません。(景徳鎮一といわれる)ホテルですら、冷えたビールを要求すると、「えっ!」という表情をするほど・・・。部屋にもどり窓の外を見てみると、まばらで小さな明かりが点々と見える程度。近代化へ奔走する北京の様相とのギャップに不安を抱きながらも、移動の疲れに押し負かされるように就寝・・。
翌朝早速、景徳鎮を代表する作家、黄さんのショールームへ。外観はいかにも中国風で、ショールームに入った途端、昨日の不安が払拭された。入り口の正面から、貫禄と存在感のある花瓶や大皿が目を奪う。黄さんの景徳鎮の歴史講義を受けながら、作品を見て回る。各年代を代表し博物館に収められている作品を、黄さんは確かな技術で復刻版として後世に伝えている。元、明、清と見ていくにつれて、形状や特に色使いが鮮明さを増し、より多彩なものが主流となる。一通り見て終わると、隣の工房へと案内された。ろくろを回し、形が整ったものに下絵、本塗りして窯入れ前までの作業が分担されており、その現場を見せてもらう。窯入れ前の絵付けを見ていると、ちょっと薄い感じがするが、焼きあがると色が鮮明にでてくるとのこと。
景徳鎮の大通りの街灯は、すべてが磁器の柱でできている。磁器の街の象徴といえよう。その柱を製作している工房へ。塀の向こうには2メートル程の壷がところ狭しと並べられている。奥へ入ると、さらに5、6メートルクラスの壷が。その横には3階建ての建物ほどある壁のような超巨大窯が。これも中国だからできるスケールの大きさか。その近くには景徳鎮陶芸学院があり、日本からの留学生も陶磁器の勉強のため訪れる総合大学である。
街のいたるところで「景徳鎮」を目にすることができる。3F建ての建物の中、日常品のものやおみやげ的な小物をはじめ、花瓶や壺や額などの専門店などが、ひしめくように軒を連ねる。小さ目の景徳鎮百貨店といったところ。最初に一流である、黄さんの作品を見たからか、ちょっと物足りなさを感じた。しかし、景徳鎮のいろいろな作品を見る上では物量感もあるので、訪問する価値はある。さらに、景徳鎮の作家が集まり、展示販売しているところへ。建物は「うだつ」がずらっとあがっており、いかにも昔の中国の印象にある様相。駆け出しの作家から黄さんと並ぶ一流の作家までが、一種の「陶芸村」の中にひとつとなっている。景徳鎮ではここも必見の場所としておすすめできる。
景徳鎮の街は、紛れもなく「磁器の街」であった。日本に住む我々は、この景徳鎮のほんの一端しか目の当たりにしていません。極限られた美術館で見ることはできるにせよ、それもまた一端。中国経済が発展し続ける今、景徳鎮への交通手段も格段に向上し、「千年の歴史」に触れる機会がますます向上してきました。黄さんの作品を代表とする本物の景徳鎮の歴史を伝承する作品。これら「陶磁器の原点」を陶磁器のファンである皆様にこれからも掘り下げ、継続してご紹介していきたいと思います。(文責:加藤)
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