この記事はに配信されたメールマガジン「ティータイム通信」コラムの復刻版です。当時のクリエイティブ担当・佐々木が、歴史・クリスマスにまつわるエッセイを綴りました。
※役職は配信当時のもので、現在は変更または退職している場合があります。
そうしたなかでも、米国MLBでの大谷翔平選手の活躍は、多くの人にとって世の憂いを吹き飛ばす一服の清涼剤か、あるいは多量の興奮剤にも等しい効果をもたらしたのではないでしょうか。
2021年12月1日コラム
思い返せば今年も、あれやこれや、さまざまな出来事がありました。
極東の一青年が野球発祥の地米国におもむき、それまで誰も想像しえなかった前人未到の領域を颯爽と切り開いていったわけですから、まさに野球漫画の斜めうえをゆく展開に世界が騒然とするのも当然ではありました。
その一方で個人的には、このたびの「ゲームチェンジャー」の登場は、ほんとうに新しいものの誕生には人や文化の交流を通じたまったく異質なもの同士のぶつかり合いが必要だということを、鮮烈に知らしめるものだという気がしてなりません。
より大きな視点に立ってみると、そもそも野球という外来のスポーツが日本に根づいて盛んになったこと自体、日本と米国という真に異質なもの同士の出会いにあり、その葛藤があったからこそ、こうした異次元の才能も生まれることができた、といえるのかもしれません。
明治初頭に東京・神田の開成学校(のちの東京大学)に英語教師として着任した米国人ホレス・ウィルソンが、ボールとバットを持ち込んで学生たちに「ベースボール」を伝えたこともあって、当初野球は東京の大学スポーツとして定着します。そしてすぐに全国的な人気となり、大正時代はじめには現在の高校野球の前身である全国中等学校優勝野球大会の第1回大会が開催されています。
このとき優勝した京都の第二中学校と覇を競ったのが東北代表の秋田中学校だったことは、すでに東北の地でも野球熱が高く、技術面でも相当な力量を備えていたことをしめしています。
ちょうど当時は、太平洋の反対側であのベーブ・ルースがメジャーリーグでのキャリアを本格的に開始した直後でもありました。それから約100年の刻をへて、東北地方出身の選手が投打二刀流でメジャーリーグを席巻することになるとは、だれが想像しえたでしょう。この奇縁はまさに異文化接触のダイナミズムそのものという感を強くさせます。
元来、日本のなかでも東北地方の風土には、異質なもの同士の葛藤を歴史の駆動力に変えていくDNAが息づいてきたように思われます。
いぜん、本コラムでも取り上げた陶工三浦乾也の物語はその善い例といえます。日本が黒船によって太平の眠りから揺り起こされた直後、仙台藩が他藩に先駆けて西洋式軍艦を自前でつくって諸外国と渡り合おうとしたことは、異文化接触の葛藤に自ら飛びこもうとする気概にほかなりません。
しかもそのために、船づくりとはまったく異質な、江戸の一介の焼き物職人にすべてを一任し、その異能を存分に発揮させるという、ちょっと常識では考えにくい選択をしたことにも、真に新しいものを生みだすための実践の精神が強く反映しているといえるでしょう。
思えば、仙台藩にはサン・ファン・バウティスタ号の先例がありました。17世紀初頭、初代藩主政宗は世界覇権国スペインとの貿易をくわだて、当時の最先端の外洋船である大型のガレオン船を自前で建造して支倉常長らをおくりだしています。
みずからの枠にとらわれず、異なる世界との邂逅に臆せずつきすすんでいく「最前線の覚悟」は、脈々と受けつがれた伝統であったのです。支倉一行が日本人としてはじめて太平洋と大西洋を横断し欧米をめざした姿と、現代のサムライが海を渡って未知の世界へと雄飛した姿が、どこか重なりあうように見えるのはうがちすぎでしょうか。
こうした東北のパイオニア精神について、さらに時間をさかのぼって探ってみると、古代にその淵源がありそうです。
よく知られているように、9世紀初頭、大和朝廷は蝦夷討伐のために坂上田村麻呂を東北に派遣しました。その結果、陸奥国に胆沢城が築かれ、北東北の統治の中心となります。日本最大級の広大な扇状地の中央部、いまの岩手県奥州市水沢にあたります。まさにこの場所こそが、日本の国の成り立ちにおける異文化接触の最前線であり、中央と周縁の狭間で独自の歴史を育む空間であったのです。
そのことは、ほかでもなく、焼き物をめぐる遺構によって実にはっきりと確認できます。かつての胆沢城周辺には200基以上の窯跡が見つかっており、瓦や須恵器などを生産・供給する北東北最大の拠点であったことが分かっているのです。多様な人々がこの地域に集い、生活し、文化を形作っていった様子が土地自身に深く刻みこまれているわけです。進取の気性に富み、常に最前線に臨もうとする東北のユニークな性質がここから大きなうねりとなって始まり、それは奥州藤原氏の絢爛な文化の創出はもちろん、近世における伊達氏の活躍にも直接的につながっているといえます。
ところで、水沢が「偉人の町」と呼ばれることがあるのはあまり知られていないかもしれません。いち早く開国を説いた幕末の蘭学者高野長英、関東大震災後の東京復興の指揮を執った後藤新平、総理大臣として昭和初期の困難な国家の舵取りを担った斎藤実、等々。
これら水沢出身の錚々たる最前線の人々の系譜に、いま新たに「大谷翔平」が加わったことは、同時代人としてなおさら感慨深いものがあるといえるでしょう。
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