この記事はに配信されたメールマガジン「ティータイム通信」コラムの復刻版です。当時のバイヤー・米山が、皿・新春・和にまつわるエッセイを綴りました。
※役職は配信当時のもので、現在は変更または退職している場合があります。
気象庁の発表によると今年も暖冬になり2月上旬までは平年より暖かいということですが、休み明けで疲れやすい時期でもあるので、皆さん体調にはお気をつけてお過ごし下さい。
令和初めてのお正月も明け、はやくも2週間が経ちました。
新年の挨拶もひととおり終わり、世間のムードも日常の生活に戻りましたね。
陶器に詳しい方は織部(おりべ)や志野(しの)という焼物を思い浮かべるかもしれませんが、一般的には有田焼や九谷焼といった有名な産地がある中で、美濃焼という名前はあまり聞きなれない名前かと思います。
実は日本の陶磁器の生産量の50%以上はこの地域で作られており、皆さんのご家庭の食器の中にも必ずといっていいほど美濃焼はあります。
何気ないお皿や湯飲みやマグカップ、また小さいお子さんがいるお宅にあるキャラクターのついた食器なども多くは美濃地域で作られています。
美濃焼の大きな特徴は2つあります。
1つはその少量多品種から大量生産まで対応できる地域性です。
ひと言で美濃焼と言っても様々な地域があり、地域ごとにそれぞれ得意な製品が違います。
美濃地域は1300年以上前から陶器の産地として発展していきましたが、その発展に伴い生産量が増え、地域ぐるみで分業体制が進んだ地域でもあります。
今でも400軒以上の窯元さんがあり、それぞれの得意分野を組み合わせながら製品づくりをしています。これだけの規模で分業体制が進んだ地域は世界的に見ても非常に珍しいと言えます。
例えば土岐市にある駄知(だち)という地域では、明治時代から「どんぶり」の生産が盛んで、今でもどんぶりの生産は日本一です。土岐市を訪れると、外観がどんぶりの形をしている「どんぶり会館」があったり、年に一度「駄知どんぶりまつり」が開催され、町の問屋や窯元でお手頃にお気に入りの器を手に入れることが出来ます。
今でもどんぶりの成型だけを行っている窯元や、絵付けだけを行っている工房などがあり、互いの得意分野を活かしながら生産をしています。
またお酒をいれる「徳利」ですが、これは下石(おろし)という地域にある窯元でほとんど作られています。また和皿は肥田(ひだ)という地域で多く作られていますし、コーヒー椀皿は妻木(つまぎ)という地域で多く作られています。
私たちが見る和食器は種類も千差万別で、一つ一つの器が作り上げられた背景はわかりにくいですが、実際には一つの器を作り上げる為に大小様々な窯元が力を合わせています。
この分業体制の確立こそが、少量多品種から大量生産までを可能にし、美濃焼が日本の陶磁器生産量の50%以上を占める要因となっているのです。
2つ目の特徴は、とにかく種類が多く特徴的な形や色彩が豊かということが言えます。
これは戦乱が終わりを告げ、様々な伝統や文化、流行を取り入れた桃山時代に茶陶(茶道の席で使用する陶器)の生産地として美濃が大きく発展したことに起因します。
千利休の弟子で利休七哲の一人であった「古田織部(ふるたおりべ)」という美濃生まれの戦国武将が、美濃に陶工を集めて創意工夫を凝らして、さまざまな技法で新しい茶陶を生み出したことが始まりです。
自由奔放で大胆でユーモアのある織部焼は、桃山時代に花開いた茶道文化において一大ブームとなり、各地の大名はこぞって織部の器を求めました。
それまでは中国の磁器に似せた器か、備前焼(びぜん)や常滑焼(とこなめ)のような焼き締めの器が主流だったのですが、この桃山時代に生まれた美濃焼の影響で一気に日本の陶磁器の種類が幅広いものとなりました。
美濃焼が生み出した自由な世界観は、日本の焼物文化に大きく影響を与えたと言えます。
どのご家庭でも一つはあると言われる美濃焼。
手元にある器一つ一つにも歴史があり、様々な人の手が加わっていると考えると、毎日の食卓で使う食器にも思い入れが増しますね。
皆さんもご家庭の食器がどこで作られたものなのか、ぜひ一度調べてみて下さい。
雑誌やテレビで見かけた時、何かの機会でその場所に訪れた時には、きっとその食器がもっと好きになり、毎日の食卓が楽しくなりますよ。
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