磁器と文学の十字路

この記事はに配信されたメールマガジン「ティータイム通信」コラムの復刻版です。当時のクリエイティブ担当佐々木が、徳利・和・重陽にまつわるエッセイを綴りました。
※役職は配信当時のもので、現在は変更または退職している場合があります。

谷崎潤一郎の小説『蘆刈』(1932年)は、京と大阪の境、桂川・宇治川・木津川の三川が合わさり、淀川となるあたりを主な舞台としています。

2021年9月1日コラム

作者本人を彷彿とさせる主人公が、ある日散策がてら自宅のある岡本(現在の神戸市東灘区)から電車にのり、かつての後鳥羽上皇の離宮「水無瀬の宮」の跡地をめぐったあと、月を愛でるために淀川の中洲にわたり、そこで奇妙な体験をする、という短編です。

夢とうつつが交錯し幽玄の世界が広がる谷崎文学屈指の名作ですが、この物語のなかでいぜんから個人的に気になっているシーンがあります。離宮址をあとにした主人公が付近のうどん屋で食事をし、「出がけにもう一本政宗の罎を熱燗につけさせたのを手に提げながら」淀川の河原におもむく、という場面。

熱燗とはテイクアウトできるものだったのか、というちょっとした驚きを感じます。関東大震災を機に関西に移住した谷崎が岡本に居を構えたのは昭和の初めごろですが、当時の風俗として熱燗の持ち帰りはポピュラーなものだったのか、それともうどん屋の主人が大作家のわがままにいやいや合わせただけなのか、あるいは完全な創作なのか。そのあたりのことはよくわかりません。

渡し船で中洲にわたった主人公は、熱燗をラッパ飲みしながら月と両岸の景色をながめつつ、かつて淀川の物流の要であった三十石舟や遊女があやつる小舟が行きかうさまを空想します。そしておもむろに飲み干した「罎」(びん)を淀川に投げ込んだ拍子に異変発生、物語が急展開するところをみると、このテイクアウトされた熱燗はなかなか重要なアイテムだといえます。

おそらくこの罎というのは焼き物で、磁器の一合徳利かと思われますが、少なくとも店から持ちだし使い捨てにできるような安価な大量生産品が当時すでに出回っていたことがうかがいしれます。

ところで、主人公が船に乗った場所は、「山崎の渡し」だったのでしょう。かつてはここから川の対岸、京街道の宿場町で昭和初期にはまだ遊郭があった橋本へと渡船が出ていました。往古に離宮のおかれた右岸と現代の岡場所の左岸との境界で、聖と俗、過去と現在をスパークさせたのが、大衆的な普段使いの徳利であるというところに、この作家の卓越が鮮烈ににじみだしているようです。

さらにいえば、じつは実際の歴史をみても、小説の舞台となったあたりの淀川と庶民的な日用の磁器とは、古くからかなり深い関係にありました。

良く知られているように、日本の磁器の起源は17世紀のはじめごろ、いまの佐賀県有田で材料となる陶石が発見されたことにさかのぼります。当初、磁器はきわめて高価なもので、庶民にはとうてい手の届かぬものでした。有田に隣接する波佐見(現在の長崎県波佐見町)でも磁器が焼かれるようになり、海外では有田焼と波佐見焼はともに「伊万里」焼として珍重されました。ところが江戸時代のなかごろに輸出が減少したことで波佐見では国内向けの廉価な日用雑器が多く生産されるようになり、それによって庶民の暮らしに磁器が浸透していくことになったのです。

この大きな変化がもっとも明瞭にあらわれた場所のひとつが、淀川でした。かつて旅人がのる三十石舟などの大型船に近づいていき、「酒くらわんか、飯くらわんか」などと売り声をあげて酒や料理を商った小舟がありました。広重の浮世絵「京都名所之内 淀川」のなかにも描かれるほど当地の名物として名高かった通称「くらわんか舟」は、客に酒食を提供するさい、不安定な船上でも扱いやすいどっしりとした器を用いました。

これが波佐見産の磁器で、俗に「くらわんか碗」と呼ばれます。食べ終わった客は器をそのまま川のなかに投げ捨てたといわれ、実際いまでも往時のくらわんか碗が川の底から引き揚げられることがあるそうです。それだけ安価で使い勝手の良いものであったということでしょう。谷崎はこの史実を下敷きにして作中にちょっとした仕掛けを忍び込ませることで、作品全体に魔法的なリアリティを与えたのかもしれません。

それはそうと、近年、波佐見焼は持ち前の使い勝手の良さとデザイン性の高さで人気が高まっています。日本人が古くから馴染んできた波佐見焼の底力を見せつけられるようです。そしてその底力と魅力は、今回の東京オリンピック・パラリンピックでさらにはっきりとしました。各国・地域の選手団に贈呈される記念品に、美濃焼とともに波佐見焼が採用されたのです。

かつて伊万里焼として世界を席巻した波佐見焼は、質の高さと安定した生産力を維持しながら大衆性をも獲得し、いままた改めて世界に向けて大いに発信されることになったといえるのではないでしょうか。

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「器の愉しさを、もっと身近に」という想いを胸に、代々のスタッフがバトンを繋いできた食卓のエッセイ集です。ある時は 古典文学に想いを馳せ、ある時はイースターの食卓を飾り付ける。京都発、器が大好きな私たちの、ちょっとマニアックで愛おしい「器と文化愛」が詰まったコラムたち。数十年にわたり、メールマガジンを通じて数万人の器ファンに届けられたコラムを復刻しています。