この記事はに配信されたメールマガジン「ティータイム通信」コラムの復刻版です。当時のル・ノーブル編集部が、父の日・ギフト・梅雨にまつわるエッセイを綴りました。
※役職は配信当時のもので、現在は変更または退職している場合があります。
明日は父の日。母親に贈るものはあれこれ思いつくものの、父へのプレゼントとなると毎年頭を悩ませます。
アクセサリーやファッション小物なんて喜ぶほどダンディでもなければ、洋服にも無頓着。
ああでもない、こうでもないと悩んだ結果、数年前病気をして医師から煙草とお酒を慎むように指示されて小さな楽しみを失った父に、新しい趣味を…とコーヒーミルをプレゼントしてみることにしました。
これで毎日美味しいコーヒーを立てて、ゆったりとしたコーヒータイムを楽しんでくれるといいのですが。
というわけで、今回は毎日何気なく飲んでいるコーヒーにつて掘り下げてみる事にしました。
日本に初めてコーヒーが伝えられたのは江戸時代、元禄文化が花開く頃のこと。
長崎出島にオランダ人が持ち込んだのが始まりです。通訳や蘭学者、そして遊女たちを通しその味が広まりました。
1804年江戸幕府の幕臣で戯作者の大田南畝によって書かれた文献のよると、その味は「焦げくさくして味うるに堪えず」と表現されています。長崎奉行所に勤めていた彼はオランダ船上でコーヒーを口にしましたが、これまで彼の食生活の中では味わったことのない苦みに驚き、とても受け入れることができなかったのでしょうね。
鎖国が解けた明治時代、コーヒーの販売広告が新聞に掲載され、徐々に日本国内にコーヒーというものが認知されていきました。鹿鳴館でも夜会に集まる華族や外国人にむけコーヒーがふるまわれていました。
明治21年に東京上野に本格的なカフェ「可否茶館」が誕生。店主の鄭永慶は大蔵省に勤めたエリート日本人で、アメリカ留学時に目にした文化的なサロンのような設備をしつらえました。2階建ての店内には書籍、書画が揃えられており、トランプや将棋、ビリヤードなどの遊びもできる社交場としての一面も。筆や硯もある文房室や更衣室まで備えられていたそうです。
贅の限りをつくしたハイカラな店は評判を呼んだものの赤字が続き、結局4年で閉店を余儀なくされましが、その後、知識人や芸術家などが集うカフェの開店が続き、コーヒー文化普及の一助となったのです。
明治末期、水野龍が「カフェ・パウリスタ」を創設。大正に入り、ブラジル政府からコーヒーの無償供与という協力を得て株式会社も設立しました。
高級な洋食とセットになっていたコーヒーを、単価の安いドーナツと一緒に提供するようにし、庶民や学生でも気軽に利用できるカフェとして東京、大阪だけでなく全国的に支店を展開、コーヒーの普及に努めました。
大正12年ブラジルのコーヒー無償貸与の終了と関東大震災による被害の為、カフェ・パウリスタはその幕を閉じることとなりましたが、その頃には日本人の中で日常的な飲み物として定着していたのです。
何かのコマーシャルでも言われていましたが、缶コーヒーもインスタントコーヒーも生みの親は実は日本人ってご存知でした?それほどまでに、日本人にはコーヒー好きが多いのですね。
コーヒーに含まれるカフェインは刺激作用があることから、体に悪影響があるのでは?などという誤解があるようですが、実はその昔、コーヒーは薬用として珍重されていた程薬効のある飲み物なのです。
カフェインには血管の拡張、収縮を促して血液の流れをスムーズにして筋肉の動きを良くする作用があります。又、腎臓、肝臓の働きも活発にするので、代謝があがり2日酔いの防止にも効果的。
脂肪を分解しエネルギー消費を助ける作用のあることから食後の一杯はダイエットにも効果あり。最近の研究ではコーヒーには老化の原因となる活性酸素を抑える働きがあることも認められています。ダイエットにアンチエイジング。女性には嬉しい情報ですよね。
ただし、刺激も強いので空腹時にがぶ飲みするなど飲み方が悪いと胃に負担がかかったり、夜眠れなくなるなど逆効果。酸化したコーヒーも体によくありませんので、挽いた豆は2~3週間で、飲みきれないようであれば冷凍庫で保管するのがいいそうです。
美味しいコーヒーをゆっくり味わっていただく。そんな時間を大切にしたいものですね。
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