この記事はに配信されたメールマガジン「ティータイム通信」コラムの復刻版です。当時のクリエイティブ担当・佐々木が、重陽にまつわるエッセイを綴りました。
※役職は配信当時のもので、現在は変更または退職している場合があります。
世界中には古くからさまざまな交易路が発達し、人々と文化の往来に一役買ってきました。
2020年9月1日コラム
自分の住む地域にはないものを手に入れたいという、人間のシンプルな欲求はどんな危険ももろともせずに、交易のネットワークを網の目に広げてきました。
東洋と西洋をつなぐ草原の道、シルクロードはとくに有名ですが、中国発祥の嗜好品である茶の交易路もきわめて古くから存在しています。
茶の名産地である四川の雅安からチベットの都ラサをつなぐ、全長2200キロメートルを超える「茶馬古道」は、すでに唐時代には機能していたといわれています。中国からは茶のほか塩といった日用品、チベットからは毛織物や薬草あるいは馬などが送り出されました。
いまでは車や鉄道などの輸送手段が発達したことで茶葉古道は使われなくなりましたが、60年ほど前までは現役でした。標高5000メートル級の山々を越えてゆかねばならない世界屈指の過酷な交易路だったといえます。
さて、ながらく中国を代表する茶の産地であった四川ですが、独特な発酵過程を経て作られる「黒茶」については、16世紀末に湖南・安化産の黒茶が四川産のものにかわって政府指定の「官茶」に認定されました。
日本ではプーアル茶がよく知られる黒茶ですが、製法にはバリエーションがあります。なかでも安化黒茶は茶葉を圧縮して固める緊圧茶の高級品として位置づけられています。
清朝時代には、安化を起点とする交易路が中国各地につながり、いわば黒茶の「茶馬古道」を形作っていました。清朝が滅亡し、その後戦乱の時代になると、この交易路も衰退することになりました。
ところで、黒茶の交易路が日本にもあることはあまり知られていないかもしれません。
日本の黒茶は、四国や北陸の一部地域で生産されています。たとえば、高知県には碁石茶と呼ばれる黒茶があります。安化黒茶のように固めて成形されており、その見た目から碁石茶と名付けられています。
この碁石茶が興味深いのは、生産地である高知ではほとんど飲まれることがなく、遠く離れた瀬戸内の島々で消費されていることです。
江戸時代に讃岐の商人が碁石茶を瀬戸内の島々に売り込んだところ、漁師たちのあいだで碁石茶を使って茶粥を作り食べる習慣が生まれたそうです。
山々を越え、海を渡って黒茶が運ばれる「茶馬古道」が日本にもあったことは、時代を超え、人間を引き付けて止まない茶の力を改めて感じさせてくれます。
今日はそんな悠久の茶の魔力を感じながら、お気に入りのティーカップで午後の一服を愉しまれてはいかがでしょうか。
※ ご覧の時期によって価格等ご案内の情報が異なる場合がございます。最新の情報は各店舗にてご確認ください。









