戦国武将が愛した器たち

この記事はに配信されたメールマガジン「ティータイム通信」コラムの復刻版です。当時のクリエイティブ担当松田が、ロイヤルコペンハーゲン・和・歴史にまつわるエッセイを綴りました。
※役職は配信当時のもので、現在は変更または退職している場合があります。

話題のドラマ、映画、アニメなど、後からでも見直せる時代ですが、個人的にはリアルタイムで世間の熱量を感じながら見るのがベスト。それに、「今、観よう」ではなく「後で、観よう」としたら、「後で、観ない」こともしばしば…。

鉄は熱いうちにうて。

最近、つくづく感じます。

その反省を活かして、2023年は人生で初めてNHKの大河ドラマの視聴を決意。なにせ私、今作の脚本を担当する小沢良太さんの大ファンでして。映画にドラマ、数多の名作を手がけ、あまりに美しい伏線回収で観るものを魅了してくれます。

作品のテーマは戦国時代。徳川家康を中心に織田信長・豊臣秀吉など戦国武将たちの局面での選択により、未来が左右されるシナリオかな…?と予想しています。どんな伏線を張り巡らせ、どのように回収するのか、期待で胸が膨らむばかり。

ゆるゆると予習をしようと、高校生ぶりに歴史について勉強してみると、戦国武将と和食器の関係が見えてきました。

まずは織田信長と「瀬戸焼」から。

天下布武を掲げ、配下や民衆にまでその理念を浸透させたビジョナリーな織田信長。優秀なマーケターとして今なお評価されています。そんな信長は今川義元との桶狭間の戦いから3年後の永禄6年(1563年)に、財源確保に向けて瀬戸焼のブランディングを始めたのです。

当時、瀬戸の窯業は衰退傾向にあり、陶工が美濃など各地へ移り住みながら、新しい土地で「瀬戸焼」を名乗り商売をしていました。すると、あちらこちらの窯も、人気の瀬戸焼を勝手に名乗り、瀬戸焼ブランドは崩壊状態に…。

そこで、織田信長が掲げた条例の内容は「瀬戸物については、各地の商人が国内を自由に往来できるように。新しい税なども賦課してはならない」。また、瀬戸の陶工に対して「瀬戸の焼き物窯は従来通り瀬戸でだけ操業することとし、よそでは一切焼いてはならない」と保証を与えました。

つまり、“瀬戸以外で瀬戸物を焼くな”ということ。瀬戸で焼かれたものだけが“瀬戸焼”を謳って良いと、織田家がブランドの保証を請け負う形で宣言したのです。結果、瀬戸焼は価格を維持し、黄瀬戸など高級茶器が登場して箔もつき、競争力を高めました。もちろん、儲けの一部は税として織田家の懐に。ブランドロイヤリティを確立し、財源確保に見事成功しました。

そして、戦国武将に縁のある器は他にも。1600年代初頭に豊臣秀吉の朝鮮出兵がきっかけで生まれた「伊万里・有田焼」や、徳川家康から御朱印状を授かり、徳川家御用窯として手厚く保護された「志戸呂焼」など、今なお日本を代表する陶磁器がずらり。

そこで今回は、日本が誇る和食器とその影響を受けた洋食器をご紹介!

長年培われた最高の工芸技術が今なお受け継がれるロイヤルコペンハーゲン。実は、日本の有田焼の影響を受けており、伝統的なモチーフであるコバルトブルーの手書きの唐草模様がその証。白地を生かしたこのシリーズは1978年の作品で、縁取りの模様がまるで宝石を散りばめた皇女様のティアラを思わせます。この染付け柄は、日本人にとって和食器のように親近感があり、根強い人気を誇っています。

洋食器の歴史に、和食器あり。和食器の歴史に、戦国武将あり。とは少し言い過ぎかも知れませんが、日本の伝統的な工芸や文化を皆さんが聞いたことのある歴史から紐解いてみると、新たな発見が待っているかも。

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「器の愉しさを、もっと身近に」という想いを胸に、代々のスタッフがバトンを繋いできた食卓のエッセイ集です。ある時は 古典文学に想いを馳せ、ある時はイースターの食卓を飾り付ける。京都発、器が大好きな私たちの、ちょっとマニアックで愛おしい「器と文化愛」が詰まったコラムたち。数十年にわたり、メールマガジンを通じて数万人の器ファンに届けられたコラムを復刻しています。