ガラスの歴史

この記事はに配信されたメールマガジン「ティータイム通信」コラムの復刻版です。当時のバイヤー米山が、ボヘミア・グラス・歴史にまつわるエッセイを綴りました。
※役職は配信当時のもので、現在は変更または退職している場合があります。

ガラスの発祥は今から5000年以上前にさかのぼります。現在のイスラエルの海岸で商人が暖を取ろうと炉を作った際、燃料とした炭酸ソーダと砂が混じり炉の熱によって溶解され、ガラスの塊ができたと言われています。

現在発見されている世界最古のガラスは、エジプト及びメソポタミアの遺跡から発掘されたガラス玉と言われています。中東で生まれたガラスは、シルクロードなどを通りおよそ3000年前に日本に伝来したといわれています。(弥生時代の遺跡から日本最古のガラスが発掘)

しかし、この頃の技術ではガラスの成分から不純物を取り出す技術はなく、ガラスは透明ではなく色のついたものでした。

その後、様々な技法が生まれ13世紀には、ヴェネチアンガラスが全盛を迎え色ガラス、エナメル彩色、レースグラスなどがベニスのムラノ島で生産されました。当時、ガラスは高級品で、ヴェネチアはガラスの貿易により富を築いていきました。しかし、ヴェネチアはガラスを作る原料をもたない土地柄、原料を輸入して製品化しなければならず、その製法が原料国にもれてしまうと太刀打ちできなくなってしまう為、保護政策として全てのガラス工房とその職人をムラノ島に閉じ込め、島から出ることを厳しく禁じていました。

現在も工房が残っており、その伝統的な技術でガラス工芸品を製作しています。

カリクリスタルの特徴は、ソーダ灰よりもはるかに透明度が高く、また「硬い」ということです。また、ボヘミアンガラスはその華やかなカット、デザインから、ヨーロッパ中の貴族がこぞって買い求め、ハプスブルグ家の繁栄の象徴とも言える存在となりました。

同じ頃イギリスではソーダ灰のかわりに酸化鉛を加え、完璧に近い無色透明の鉛クリスタルが発明されました。ステムウェア(脚付きグラス)が考案されたのもこの頃です。その輝き、グラスを重ねた時の音の素晴らしさは、他のガラス製品に比類を見ないものとなりました。

この頃の日本はというと、16世紀に長崎にポルトガルやオランダの製造技術が渡来し、ガラスはびいどろ(ポルトガル語)、ぎやまん(オランダ語)と呼ばれていました。19世紀(江戸時代)には江戸でガラス産業が全盛を迎えました。江戸切子が始まったのもこの頃です。

しかし、この頃の江戸切子は色被せ(いろきせ)ガラスではなく、黄色がかった透明に近い色のガラスにカッティングを施していました。

同じ頃、薩摩でも薩摩藩主、島津斉彬(なりあきら)がガラス事業に力を入れ、色ガラスの研究を命じ、当時の日本では薩摩藩でしか作り得なかった紅ガラスをはじめ、藍・紫・緑・黄色などの発色に成功しました。

しかし、斉彬が急逝すると工場は縮小され、薩摩切子はわずか十数年でその姿を消してしまったのです。

量産ができなかった硝子は、長い間、貴族階級や僧侶、富豪といった特権階級の人々のみが使えるものでした。しかし、20世紀に入るとガラスの生産は機械化され大量生産が可能となり、庶民の日常にも良質のガラス製品が入り込むようになってきたのです。

ざっとガラスの歴史を辿っていきましたが、いかがだったでしょうか?身近にあるガラス食器にも長い歴史があり、歴史を辿って見てみるとその伝統技術の素晴らしさがより鮮明に見えてきます。

皆さんも是非、歴史を感じながらガラス食器を楽しんで頂ければと思います。

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「器の愉しさを、もっと身近に」という想いを胸に、代々のスタッフがバトンを繋いできた食卓のエッセイ集です。ある時は 古典文学に想いを馳せ、ある時はイースターの食卓を飾り付ける。京都発、器が大好きな私たちの、ちょっとマニアックで愛おしい「器と文化愛」が詰まったコラムたち。数十年にわたり、メールマガジンを通じて数万人の器ファンに届けられたコラムを復刻しています。