この記事はに配信されたメールマガジン「ティータイム通信」コラムの復刻版です。当時のクリエイティブ担当・佐々木が、バカラ・歴史・クリスマスにまつわるエッセイを綴りました。
※役職は配信当時のもので、現在は変更または退職している場合があります。
新たな時代の幕開けを前に、改めて日本や日本文化そして皇室について思いをはせてみるのも良い機会でしょう。
平成最後の12月となりました。
東京と京都には迎賓館があります。なかでも赤坂迎賓館は、明治・大正・昭和・平成と日本の近現代の荒波を潜り抜けてきた歴史的価値の高い施設です。一昨年から通年で一般公開されるようになりましたので、見学された読者の方も多いのではないでしょうか。
明治42年に東宮御所として建設され、日本では唯一のネオ・バロック様式の宮殿建築物である迎賓館赤坂離宮。
明治期の美術・工芸・建築の粋を集めて、莫大な費用と約10年の年月をかけて完成した明治日本の西洋建築の頂点に位置づけられます。平成21年の大改修後に、国宝に指定されました。
設計は片山東熊。鹿鳴館を設計したお雇い外国人建築家であったジョサイア・コンドルの弟子にあたります。
片山は全身全霊で東宮御所を作り上げたのですが、あまりに華美に過ぎたためか、明治天皇をはじめ皇室の方々には不評だったようです。
実際、嘉仁親王(のちの大正天皇)がこの東宮御所にお住まいになることはほとんどなく、天皇に即位後は離宮として使われることになったのでした。
第二次世界大戦後は、皇室から国の所有となり、国立国会図書館や裁判官弾劾裁判所、あるいは東京オリンピック組織委員会などにも使われたこともあります。
そして1967年の佐藤栄作首相時に、外国の賓客を迎えるための専門の施設として以後使用することが決定されました。
さて、赤坂迎賓館の本館では、絢爛豪華な広間の数々を見学することができます。正面玄関から中央階段を上がって大ホールを通って進んでいくと「朝日の間」があります。ヨーロッパの宮殿における謁見の間に当たります。現在の迎賓館では、表敬訪問や首脳会談等に使われ、最も格式の高い部屋です。
このほかにも、「彩鸞の間」「羽衣の間」「花鳥の間」とった部屋が、訪れる者を感嘆させずにはおきません。
なかでも「羽衣の間」には迎賓館で最も大きなシャンデリアが3基も据え付けられており、ひときわ目を引きます。
謡曲「羽衣」の一節、「虚空に花ふり音楽聞こえ、霊香四方に薫ず」を描いた天井画が部屋の名前の由来です。天女が舞い降りた情景をフランス人画家が描きました。
かつては舞踏室として、そして今では雨天の歓迎式典や晩餐会の招待客に食前酒をふるまう部屋として使われているこの広い空間を照らし出す巨大なシャンデリアは、フランスに特注された逸品です。
日本でも高級クリスタルガラスの代名詞ともいえるバカラですが、我が国でこうした高い知名度を持つようになったのは、明治以来、バカラが皇室との関係をうまく作り上げたことが大きかったと思われます。
いわば「皇室御用達」としての存在感が、現在に至るまで日本国民にバカラの名を広く浸透させた大きな要因であったわけです。
その一端が、もともと東宮御所であった現在の迎賓館のシャンデリアにも反映されているといえるでしょう。
羽衣の間のシャンデリアには、洋風の仮面や楽器といったモチーフが散りばめられ、燦然と輝きを放ち、舞踏室であった頃の優雅さを今に伝えています。ぜひ実際にその美しさをご覧になっていただきたいと思います。
この機会にバカラの新旧傑作シャンデリアの輝きを味わってみてはいかがでしょう。
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