この記事はに配信されたメールマガジン「ティータイム通信」コラムの復刻版です。当時のクリエイティブ担当・佐々木が、マイセン・晩秋にまつわるエッセイを綴りました。
※役職は配信当時のもので、現在は変更または退職している場合があります。
18世紀初め、ザクセン選帝侯アウグスト2世は、どこにでもある物質を黄金に変えて莫大な富を手に入れようと、若き錬金術師のベトガーを幽閉して強制的に実験に当たらせましたが、当然うまくいきません。そこで当時〝白い黄金〟と呼ばれ、その希少性と美しさからヨーロッパの王侯貴族の間でもてはやされていた磁器に目を付けたのです。
ヨーロッパ産の磁器は、ドイツの名窯マイセンから始まることはよく知られています。
はるばる東洋から船で運んでくるほかなかった磁器を、他のヨーロッパ諸国に先駆けて作り出すことができれば、それはまさに錬金術に匹敵するほどの利益をもたらすはずです。 この新たなミッションを課せられたのも、哀れな錬金術師、ベトガーでした。彼は、その後何年にもわたる試行錯誤ののち、見事に磁器づくりを成し遂げます。
それ以降マイセンの磁器焼成の技術は、門外不出の国家最高機密として管理されますが、各国の執拗なスパイ活動にさらされます。行動の自由を厳しく制限されていた技術者たちが秘かに引き抜かれるなどして、磁器の秘術は次第にヨーロッパ各地に広がっていきました。その背後には、ほかでもないベトガー自身が技術流出に関わっていた可能性も指摘されています。
実は、ヨーロッパに隣接する大国ロシアも、そうしたマイセンの技術を狙った国でした。
ロシアでは、初代皇帝ピョートル1世の時代から磁器づくりを目指すようになります。盟友のアウグスト2世の成功にピョートルが大いに刺激されたためでもあるでしょう。しかしなかなかうまくいきません。ロシアはヨーロッパよりも中国に近いわけですから、直接本場から磁器の秘術を手に入れる道もあったはずです。実際、ロシアの商隊が中国人から手に入れた磁器づくりのレシピを持ち帰ったこともあったのですが、どうやら偽物をつかまされたようです。
ピョートル1世の時代に本格的なシベリア進出がようやく始まったばかりでロシアと中国との交易路はいまだ十分整備されておらず、容易に行き来できる状態ではなかったことも、技術移転が進まなかった理由のひとつだと考えられます。
その後、マイセンで働いた経験を持つ技術者をロシアに招くことに成功し、いよいよ磁器づくりが軌道に乗るかと思われたのですが、なんとこの技術者は装飾に関する知識をもっていただけで、磁器の焼成についてはまったくの素人同然だったのです。
こうしてロシアは、マイセンから技術を盗むことにも失敗したのでした。
しかしそこに突如として救世主が現れます。マイセン出身の件の技術者についていたロシア人助手にヴィノグラードフという青年がいました。彼は鉱山技師として豊富な知識を持っていたことから、磁器に適した土の研究を徹底して行い、科学的な焼成実験を繰り返しました。その結果、ロシア初の磁器づくりに成功したのです。
皇帝の庇護のもと、こうしてロシア独自の磁器「インペリアル・ポーセリン」が生まれました。インペリアル・ポーセリンは極めて早い段階でマイセンやセーブルに匹敵する高品質の磁器を作り出していましたが、生産量がとても少なかったことなどもあって、ロシア以外ではあまり普及することがありませんでした。まさに知る人ぞ知る磁器ブランドが、インペリアル・ポーセリンなのです。
インペリアル・ポーセリンは250年以上の長い歴史をもちますが、一貫してロシアの美意識というものを揺るがせにすることはありませんでした。それは社会主義の時代も同様です。たとえばソ連時代には、ロシアの民話をモチーフにした幻想的な絵柄の作品や、ヴィノグラードフが皇帝に献上した名品からインスピレーションを得て作られた作品も生み出されました。これらは現在でもインペリアル・ポーセリンを代表する逸品として人々に愛され続けています。
ぜひこの機会に、ほかにはない独自の美しさを湛えるインペリアル・ポーセリンを実際に手に取って、その味わいを感じていただきたいと思います。
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