この記事はに配信されたメールマガジン「ティータイム通信」コラムの復刻版です。当時のバックオフィス・楠橋が、クリスマスにまつわるエッセイを綴りました。
※役職は配信当時のもので、現在は変更または退職している場合があります。
僕はそろばん。持ち主はル・ノーブルに勤めているが、その持ち主をマサ君と呼ぼう。僕とマサ君との出会いは、昭和時代、マサ君が小学2年生の秋。習字の塾に慣れた頃にそろばん塾にも通うというので、マサ君は家にあった僕を使い始めたのである。僕がなぜマサ君の家にあったのかは、今思い返しても定かではない。
さて、マサ君は小学校に入学すると、お母さんがミシンを踏む隣でよく国語の教科書を読んでいた(本読みさせられていた、というのが正確だろう)。少しでもおかしいところがあると、すぐさまお母さんの「そこ違うよ」ツッコミが入る。お母さんはベビー服をミシンで縫う内職をしながら、しかも教科書を見ていないのによくわかるものだな、と感心させられたものだ。
マサ君が2年生になると、日曜日には書道の先生のところ(塾)に行って習字をしていた。その時間帯は僕は家でお留守番だ。マサ君は中学3年生の秋まで7年間、習字に通っていたと記憶している。少しは字が上手になったのだろうか。
秋頃にマサ君はそろばん塾にも通い始め、僕との運命的な出会いがあったのである。小学2年生にしては、マサ君は僕を大切に使ってくれた。最初の1年間ぐらいは価格の安いそろばんで慣らし、級が上になれば上等のそろばんを買ってあげるという親御さんが多いと思うが、マサ君は最初から僕を使ってくれていた。なぜなら最初から僕が家にあったのだから。僕は自分で言うのも何だが、雲州の高級そろばん(僕を作ってくれた人の名前が盤の裏に彫ってある)で、樺玉の27桁なのだ。
マサ君は僕をそれはそれは宝物のように扱ってくれた。塾に行く前は、そろばんブラシでよく手入れをしてくれ、雨の日には僕が濡れないように気を使ってくれた。僕は雨に濡れると玉が動かなくなるのだ。大事にしてくれるので、僕もマサ君の気持ちに答えるべく、老体に鞭打って勤続疲労にも絶え、5年弱のお付き合いとなった。今思い返しても懐かしい。僕の寿命が来たので、その後マサ君は23桁の柘玉のそろばんに買い替えて全珠連の段位試験に挑戦し、中学2年生の秋にそろばん塾を引退したそうである。
最近、江戸時代から続く「読み書きそろばん」が見直されていると思うが、平成時代の寺小屋で子供たちには伸び伸びと育って欲しいと思う。(2017年12月 久智庵にて)
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