この記事はに配信されたメールマガジン「ティータイム通信」コラムの復刻版です。当時のクリエイティブ担当・佐々木が、晩秋にまつわるエッセイを綴りました。
※役職は配信当時のもので、現在は変更または退職している場合があります。
関西では滋賀の湖東あたりにいくと、広大な稲田とともに、見渡す限りの大豆畑が広がっていて、ちょうど稲刈りの終わったこれからの時期が本格的な収穫どきとなります。
2022年11月1日コラム
いよいよ秋が深まってまいりました。
日本各地で稲の刈入れも最終盤に差し掛かっているころでしょう。
味噌や醤油に豆腐と、さまざまな調味料や加工品の原料となる大豆ですが、もちろん納豆のことも忘れてはなりません。
大豆は収穫後にしばらく寝かすことで身が締まり旨味も高まります。ですので、納豆の旬となると年明けの寒い時期からというのが伝統的な位置づけのようです。たしかに、俳句でも納豆は、冬至から春分の頃までの冬全般をあらわす季語となっています。
納豆売の行方
ところで歳時記を眺めていると、納豆の子季語に「納豆売」なる見慣れない言葉がみえます。いまでは失われた存在ですが、かつては家々をめぐって納豆を売り歩く行商が日本各地にいました。
もともと糸引き納豆はつぶして納豆汁として食すのが定番であったため、納豆売はそうした「叩き納豆」を野菜や豆腐などと一緒に行商していたようです。その後幕末の江戸で、納豆をつぶさずに熱々の御飯のうえにかけて食べることが大流行し、これが今日にもつづく朝食のスタイルとなったとされます。
食文化に詳しい民族学者の石毛直道さんによると、江戸時代の京都でも納豆汁用の叩き納豆を行商していた記録があるそうですが、上方では朝ではなく昼に御飯を炊く習慣であったために江戸の朝食スタイルが定着せず、しだいに納豆自体も食されなくなったようだ、とのことです。
いまでも関西では関東に比べると納豆の消費量は高くありませんので、それにはこうした歴史的な背景があるようです。ただ、関西のみならず西日本全体をみたときも、納豆の一大消費地である東北を含む東日本より納豆を食べる量や頻度は少ないといえます。
おそらく、納豆自体は日本の広い範囲できわめて古くから作られていたものの、次第に西日本では廃れ、東日本ほど納豆文化が根付かなかったのでしょう。比較的最近になって江戸スタイルが西へ西へと伝播していき、その一方で納豆汁につながるようなさらに古くからの伝統はいまでは主に東北地方の郷土食に残るものとなったといえそうです。
アフリカの納豆
しばしば納豆は日本独自のものとして日本人の自負するところですが、このように日本のなかでも納豆文化にはかなりの地域差があります。
しかも実のところ、納豆は日本にとどまらず、とくにアジア各地の山岳民族など辺境地帯に住まう人々にとってはポピュラーな食材として昔から親しまれてきました。納豆をつくる枯草菌は稲わらだけにいると思いがちですが、実はどんな植物の葉にも存在するので、火を通した豆を包んでおけば比較的容易に作ることができるのです。
それゆえ、交通が発達しておらず、塩などの調味料を調達しにくい地域においては、深い旨味をもった納豆がその代わりを果たしてきました。たしかに日本のなかでも西日本は交通が早くから開けた地域ですので、調味料や出汁の一種として納豆を使う文化が早々に下火になった可能性があるといえます。
こうした世界の知られざる納豆事情については、ノンフィクション作家の高野秀行さんがとても面白い本を書いておられますが、それによると納豆はアジアだけでなく、なんとアフリカにもあるようです。
しかも驚くべきことに、日本では納豆の原料といえば大豆一択ですが、アフリカではパルキアと呼ばれる高木になる豆であったり、あるいはハイビスカスの種や、さらにはあの独特な姿で有名なバオバブの種を使った「納豆」もあるとのこと。
一休さんの納豆
こうなると、意外と日本人こそ、納豆について知らないことが多いのかもしれません。かくいうわたしも、西日本の出身ですので、関東から移植された納豆文化にしか馴染みのないところがあります。
いま思えば、それを示す出来事が子供のころにありました。ある日の夕方のブラウン管のなかで、一休さんが懐からとりだした納豆をお粥にいれて、お供の新右衛門さんと一緒にさも美味そうに食べるのです。
いつも朝食で食べるあの納豆をお粥に入れただけでそれほどまでに美味なものになるのかとひどく感心したわたしは、母親に頼み込み、粥を急遽炊いてもらってそこに糸引き納豆を投入、いぶかる家族の目をよそに期待に胸を高鳴らせて一口食べてみたところ、
そのとき少年には知る由もありませんでしたが、納豆は納豆でも、一休さんが用いたのは「塩納豆」であって、糸引き納豆ではなかったのです。塩気と独特の風味をもった、一休ゆかりの大徳寺納豆や一休寺納豆であれば、美味しいお粥になったことでしょう。わが故郷には塩納豆の伝統もないので、こうしたカルチャーギャップが起こってしまったわけです。
魯山人の納豆
それ以来、納豆粥のことはすっかり忘れていたのですが、最近、北大路魯山人のエッセーを読んでいたところ、はからずも再開を果たすことになりました。
しかも、かの食通は、塩納豆ではなく、糸引き納豆のはいった粥を絶賛しているのです。それによると、薬味をいれよくかき混ぜた納豆を粥の量に対して4分の1ほど加えて温めたら出来上がり。このうえに煎茶をかけてもよし。これは「通人の仕事」とまでいっています。
魯山人は、別のエッセーでも糸引き納豆の茶漬けをとりあげて、納豆愛を炸裂させています。魯山人が納豆の混ぜ方にこだわったというのは有名な話ですが、おそらくこのエッセーがもとになっているようです。ただし、混ぜ方ではなく「ねり方」といっており、実際、とことん練り続けてどろどろにしたものを用うるべしとします。
幼き頃におった不信のせいで、魯山人自作の碗で食せば粥でも茶漬けでも一味も二味も違うだろうと穿った見方をしてしまいそうになりましたが、たしかに、これほど練りに練った納豆であれば、叩き納豆ほどではないにしろ、それに近い状態になっているのかもしれません。そうであれば、淡白な粥や茶漬けの味わいをうまく引き立てるのでしょう。
魯山人は寒い時期の逸品としてこれら納豆料理を紹介しました。この秋、納豆の大家のレシピに従い、数十年のときを越えて再び納豆粥にチャレンジしてみたいものです。
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