この記事はに配信されたメールマガジン「ティータイム通信」コラムの復刻版です。当時のクリエイティブ担当・佐々木が、歴史・梅雨にまつわるエッセイを綴りました。
※役職は配信当時のもので、現在は変更または退職している場合があります。
このところの京都は季節外れの暑さが続いていますが、いつもどおり多くの観光客でにぎわっています。
修学旅行生の姿も多く見かけるようになりました。朝早く市内の旅館やホテルの前を通りかかると、学生たちがタクシーで次々と運ばれていきます。
以前利用したタクシーの運転手も毎年修学旅行生のガイドをしていて、とくに忙しくなるこの時期は有り難い反面、体重が増えてしまって困る、と言っていました。
ガイド中は常に子供たちと行動を共にし、飲食も一緒にしなければならないので、普段食べつけない甘いパフェを連日食べる“苦行”が続くことになるそうです。
お寺や神社めぐりはもちろん、街歩きをして美味しいものを食べる愉しい時間のなかでも、京都の歴史と魅力を少しでも感じてもらえたらうれしいですね。
偉そうなことをいっていますが、長年京都に住んでいる私も、知らないことだらけです。先日もそう痛感することがありました。
知人に連れられて、市内某所の料理店にお邪魔したところ、素晴らしい日本料理の数々を目と舌で味わうことができました。カウンターのなかから腕をふるってくれたご主人は、古来宮中で生まれ現代まで伝わってきた料理の流儀を学んだそうで、提供する一品一品にその技術や精神が存分に活かされているようでした。
烏帽子や袴を身に着けて、まな板のうえの魚や鳥をじかに手を触れずに切り分けていく「式庖丁」(しきほうちょう)の流派のひとつに、「生間流」があります。
式庖丁の起源は平安時代にさかのぼり、節句などに宮中で催された行事「節会」(せちえ)にて魚をおめでたい形に切る儀式でした。爾来、公家によって受け継がれ、いまでは京都西陣の老舗料亭萬亀楼の主人が第30代家元として継承しています。
式庖丁自体は実際に食べるための技術ではありません。ですので、お店で日々提供する料理のためにわざわざ学んでいる料理人の方々がいるとは、私まったく知りませんでした。ですがそのストイックな姿勢には、ほんとに頭が下がる思いですし、やっぱり京都は奥が深いなあ、と感じないわけにはいきませんでした。
私が伺ったお店は、料理を盛る器やグラスにもこだわっていて、なかには現代のガラス作家が作った美しい作品も使われていました。古い要素と新しい要素がひとつの空間に同居しているところは、真に京都的なものといえるように思います。
こうした伝統と革新の融合は、普段京都で生活していてもなかなか気が付かないところです。
初心に戻って日々の風景を味わってみたい。修学旅行の学生たちの楽しげな姿をみて、心底感じた、今日この頃でした。
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