この記事はに配信されたメールマガジン「ティータイム通信」コラムの復刻版です。当時のクリエイティブ担当・佐々木が、端午の節句にまつわるエッセイを綴りました。
※役職は配信当時のもので、現在は変更または退職している場合があります。
明治37年(1907)、16歳の時に故郷の北陸・福井を出て、鹿鳴館の後身である華族会館の料理部で下積みにはいり、その後築地精養軒や東洋軒、そしてヨーロッパでの修行を経て、「天皇の料理番」を半世紀以上務めた秋山。
2023年5月1日コラム
リヴァイブする伝説のシェフ
先月の当コラムで、伝説的なフレンチ料理人、秋山徳蔵について少し触れました。
まさに日本におけるフランス料理の伝統を確立した存在といえる彼の生涯については、小説にもなり、また幾度か映像化もされています。
最近のものとしては、2015年にTBSテレビ60周年特別企画としてドラマ放送されましたので、ご覧になった方もあるかと思います。
秋山役の佐藤健さんが見事な包丁さばきで演じておられたほか、時代背景も丁寧に織り込まれた重厚な作品でした。(個人的には、鈴木亮平さんが秋山の病身の兄役を頬がコケコケになるほど体重を落として怪演されていたのがとくに印象的でした…。)
さて、秋山自身も自伝的な作品(『味』昭和30年刊行)を書いているのですが、とても軽妙かつ洒脱な文体であることにまず驚かされます。
人格が滲みでているというのでしょうか、ひとつの道を究めた人の迫力というものが筆先に現れた文章から、彼の波乱万丈の人生の軌跡を鮮やかに追体験することができます。
また、そのほかのエッセー集なども実に読みごたえがあります。
作品を重ねるごとに滑らかになる語り口で、秋山本人のさまざまな体験談とともに、食にまつわるエピソードが数多く紹介され、彼の生きた時代における食文化の貴重な記録にもなっています。
たとえば、『舌』(昭和32年刊行)と題された著作。肉体に強壮をもたらす珍味を語る「秘食」、奇食にまつわる「イカモノ談義」、本当の食道楽について探る「呑む」など、どの章も興味深く愉快な逸話の数々がちりばめられています。
それらと並んで、「器」と題された章では、包丁や箸、漆器や陶器など、料理や食卓に欠かすことのできない道具類がとりあげられているのですが、とくに見逃せないのは、洋食器に関するくだりです。
このエッセーが書かれたころにはすでに70歳手前であった彼は、往時をふりかえって、かつて日本で使われていた西洋食器の質がきわめて高いものだったことを指摘しています。
黎明の洋食器
たとえば、「純銀のフォークやナイフもあちこちにあったし、個人でも三井家や岩崎家などには揃っていたようだ。いまは、宮内庁には残っているが、ほかで私の知っているのは、三井クラブで使っているマッピン製のものだけだ」と述べています。
また、金食器についても、明治4年に岩倉具視が海外で買ってきた8人分の食器が宮中にあったと証言しています。
おそらくこの金食器は、明治6年7月に宮中でおこなわれた西洋料理作法の講習会すなわち「西洋料理食餌作法の稽古」にて用いられたものと同じものだったと思われます。
(ちなみに、この講習会は、外国から国賓を招いて開催される宮中晩餐会がフランス料理でもてなされることになったことをうけ、両陛下をはじめ、宮中に仕える女官たちも参加して料理作法修得のために開かれたものです。講師役は、築地精養軒の主人北村重威が務めました。)
ただ、食器の数が少ないのでとても参加者全員には行きわたらず、両陛下のみ岩倉具視の買い付けてきた金食器を用い、それ以外は築地精養軒のものを使用したといわれています。宮中で洋食器が揃えられるようになるのは、この講習会がひとつのきっかけだったようです。
さらにこのとき、女官たちから他人の使った食器を使いたくないという不満がでたことも、自前の洋食器の必要性を後押ししたとみられます。(長佐古美奈子「宮中晩餐会の歴史的考察 その(一) 現在に続くイギリス風の導入」『学習院大学資料館紀要』26, 2020年3月)
黄金の重みと明治人の気迫
さて、秋山のエッセーの記述にもどってみると、彼が宮内省にはいったころに金食器は24人分追加されて32人分となり、さらに昭和天皇即位のご大礼のときに、「72人分を国内で新調した」とあります。
彼によれば、当時は金価格が高騰していて予算が大きく狂ったものの、そのまま金食器の国内調達計画は実行され、米国のドル金貨を東京・芝にあった業者に渡してメッキした、といいます。
また、そのときの金メッキの厚さについても語っているのですが、にわかには信じられない内容です。ニッケルシルバーの生地に銀メッキを施して鏡のように丁寧に磨きをかけたうえに、なんと「厚さ一厘」で金メッキをかけたというのです。
一厘というと、0.3ミリメートルほどでしょうか。現在よくある金メッキで0.1~0.5マイクロメートルつまり0.0001~0.0005ミリメートル、装飾用では40マイクロメートルつまり0.04ミリメートルほどにもなればきわめて高級なものになると聞きますので、一厘というと途方もない厚さです。
しかも、これほど大量の金をまぶしたあとに、表面をヘラで押し付けて強度と光沢を出していく工程があり、それはスプーンならば職人ひとりで1日に4本ほどしか仕上げられない手間のかかる作業であったといいます。
まさに絢爛豪華、なおかつ微に入った丁寧な職人技を駆使した金食器が、こうもはやくに日本で作られていたことに驚かされます。
西洋に伍するべく国家の威信をかけた秋山ら明治人たちの気迫というものを感じさせるエピソードだといえるでしょう。
その弐へつづく
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