この記事はに配信されたメールマガジン「ティータイム通信」コラムの復刻版です。当時のル・ノーブル編集部が、夏にまつわるエッセイを綴りました。
※役職は配信当時のもので、現在は変更または退職している場合があります。
8月16日、京都では「五山送り火」が催されます。毎年祇園祭ともども見に行きますが、何かしらの発見がありますので今年も楽しみにしています。京都の夏は「祇園祭に始まり、送り火で終わる。」と言われています。が、現実的にはまだまだ残暑が厳しそうなので、風鈴の音に涼を感じる日が続きそうです。。
さて、今回は涼を感じながら粋も感じられる、日本の伝統工芸「切子」のご紹介をさせていただきます。
そもそも「切子」とは、簡単に言うと「カットグラス」のことです。切子の代表格として、江戸切子、薩摩切子の名前を耳にされたことはあると思います。切子には色付きが多いのが特徴のひとつ。これは、色を薄く被せた「色被せ」と呼ばれる技法です。江戸切子のカットは鮮明で正確。仕上がりもはっきりとして華やかです。一方の薩摩切子は、色被せガラスで色を厚く被せるため、カット面に「ぼかし」と呼ばれるグラデーションが見られ、そこが特徴となります。
ちょっと興味をそそられた方は、次にどうぞ。
町民文化の中で育まれた江戸切子は江戸時代の面影を強くとどめた意匠や技法に優れたものが多く、現代に至るまで切子職人たちによって受け継がれています。現在、当時よく使われた切子文様および、その文様を施したガラス器を総称して「江戸切子」と呼んでいます。代表例として、矢来文(やらいもん)、麻ノ葉文(あさのはもん)、魚子文(ななこもん)、籠目文(かごめもん)などがあります。ちなみに7月5日は魚子文(ななこもん)を語源とし「切子の日」とされています。
27代薩摩藩主、島津斉興が創設した製薬館・医薬館で行われる試験や精錬に使用するガラス器の必要性から、江戸のガラス工人を招いて薬瓶などのガラス器が製造されたことに始まります。1851年、28代薩摩藩主となった長男の島津斉彬によってガラス事業は大きな発展を遂げることとなります。斉彬は就任とともに色ガラスの研究を命じ、当時の日本では薩摩藩でしかつくり得なかった紅ガラスをはじめ、藍、紫、緑、黄色などの発色に成功しました。その後、本格的なガラス製造がはじめられ、薩摩切子は急速に美術工芸品として世界の一級品へと成長しました。しかし1858年、斉彬が急逝すると、苦しい藩の財政整理のため工場は縮小され、1863年の薩英戦争で工場はほぼ消失します。薩摩切子はわずか十数年でその姿を消し、幻となってしまったのです。
職人さんたちと触れ合う中で、代々伝わる伝統・技法を基に、熟練の職人による卓越した技術とこの時代に合う感性を駆使され、次の時代を担う「切子」の製作と「職人」の継承に邁進されている姿を見たときの感動は今でも印象に残っています。
この「日本職人」さんたちによる、匠の「技」と古き良き日本の「粋」を伝える逸品との出会いを楽しんでください。
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