南亜烈烈 その弐

この記事はに配信されたメールマガジン「ティータイム通信」コラムの復刻版です。当時のクリエイティブ担当佐々木が、ハロウィンにまつわるエッセイを綴りました。
※役職は配信当時のもので、現在は変更または退職している場合があります。

さて、日本とインドとが、仏教などを通じてとても古くからつながりのある間柄であることは、いまさらいうまでもありません。

2022年10月1日コラム

ですが、東アジアの片隅に浮かぶ小さな島国にとって、南アジアの途方無く大きな亜大陸は、物理的にも心理的にも「遠くて遠い国」の最たるものなのかもしれません。

たとえば、言葉ひとつをとってみても、現在のインドではヒンディー語が公用語的な位置づけにあることはよく知られていますが、それ以外にも方言を含め800以上の言語が存在するといわれます。

隣町へ一歩足を踏み入れると、まったく異なる言葉が飛び交っている、などという光景は、日本人にはなかなか想像できないものです。

これほどまでに言語が多様なのですから、それに見合って文化も実に多彩になることも、じゅうぶんうなずけます。

ヴァルナとジャーティ

こうしたインドの多様さ多彩さをうみだす大きな要因として、やはり「カースト制」の存在を無視することはできないでしょう。

ヒンドゥー教における身分制度であるカースト制は、インド独立後に公式的には廃止されましたが、いまでも地方などを中心に根強く残っているといわれます。

「カースト」という言葉自体は、ポルトガル語で「血統」を意味します。かつて大航海時代にインドを訪れた西洋人による命名とみられ、通常、現地インドでは「ヴァルナ」および「ジャーティ」として認知されているものです。

司祭のバラモン、戦士のクシャトリア、商人のヴァイシャ、労働者のシュードラ。この4つのカテゴリーからなる「ヴァルナ」は、厳格な宗教的ヒエラルキーとしてインド古来より社会的身分を規定してきたものですが、いわゆるカースト制を構成するのは、これだけではありません。

日常生活において人びとが帰属するさまざまな共同体を指す「ジャーティ」は、要するに職業集団のことです。たとえば「大工のジャーティ」や「床屋のジャーティ」や「牧畜のジャーティ」といったように、職業毎に細かく分かれています。

ヴァルナにはそれぞれに対応するさまざまなジャーティがあるわけですが、インド全体でジャーティの総数がどれほどあるのか、正確なところは見当もつきません。おそらく数千に上るともいわれます。

本来、この語が「生まれ」を意味しているように、生まれついた家の職業は代々世襲され、そこから逸脱することは認められません。人は同じ職業で結びついた共同体のなかで一生を過ごし、それは自分の親もまたその親も、そして自分の子もまたその子も、例外なく子々孫々と受け継がれていくのです。

食とカースト

人びとがひとつのジャーティに生涯帰属するということの特徴的な面は、たとえば結婚にもあらわれます。同じジャーティの者同士が結婚して家庭を作ることがこうした職業集団を代々維持するうえでとても重要なことなのです。

一方、毎日の生活においてもジャーティは人びとの行動を強く規制します。それはとくに食事においてです。異なるジャーティに属する者同士で、食事をすることや、食べ物や水をやり取りすることは、なによりも避けなければならないのです。

カーストとは、端的に言えば、誰と結婚し、誰と食事をともにするのか、についての強力なルールといったところでしょうか。

こうしたルールがあるのは、ヒンドゥー教がきわめて厳格に「穢れ」を忌避するからです。異なるヴァルナやジャーティとの接触によって「穢れ」が伝染してしまう恐れがあるとされ、それゆえに、人と人との交流を限定し、できるかぎりひとつのジャーティのなかですべてを完結させることが基本とされるのです。

インド料理において、大皿や鍋を皆で囲むのではなく、一人一膳のスタイルが守られることも、人との接触で生まれる穢れを避けようとする意識が強くあらわれてのことだといえます。

また、日本でもインド料理のお店にいくと、たいてい、使われるターリとカトーリは金属製ですが、これも汚れが付きにくく浄化しやすいということで広く用いられているわけです。

インドと焼き物

もっとも、なにより清潔なのは、使い捨ての器ということになりますが、現在でも南インドの地域のなかには、バナナの葉に料理を盛り、食べ終わればそのままポイと捨ててしまうようです。

では、インドでは陶製の食器を用いることはないのか、ということが気になるところです。

たしかに、いまでは安価な金属製やプラスティック製の食器が大量に出回っていることもあって、陶製の食器はあまり見かけなくなっているようです。

しかしながら、たとえばチャイつまりインドのお茶ですが、これを路上などで商いしている店のなかには、プラスティックのカップではなく、伝統的な素焼きの使い捨てカップ「クルハド」にて提供するところもあります。

また、インドの首都デリーから二百数十キロほど南西にあるジャイプルは、有名な伝統工芸品「ブルーポタリー」の産地です。古くにペルシャから伝わったといわれるこの色鮮やかな焼き物には各種の食器もあります。ただこれらは海外からの観光客のお土産品や輸出用として作られることが多いようです。

庶民が日常的に使う焼き物としては、食器とはいえませんが、たとえば水瓶などの需要はいまでもかなりあるようです。気化熱によって自然に冷やすことのできる陶製の水瓶は、暑いインドでは今も昔もマストアイテムといったところでしょうか。

クルハドの逆襲

とはいえ、このところ新たな動きもでてきているようです。驚くことに、インド政府は使い捨てのプラスティックを減らす活動の一環として、全国7000もの鉄道駅で売られるチャイに対して、伝統の使い捨て素焼きカップ、クルハドを使うことを決定したのです。

たまに日本でも映像で見ることがありますが、インドの鉄道の混雑はたいへんなもので、世界一ともいわれる鉄道利用客の多さです。彼ら利用客の憩いとしてチャイの一服には相当な需要があります。この決定は産業振興としてもきわめてインパクトのある施策だといえるでしょう。

インド独特の宗教的背景というものは、カレーをはじめとする他に類を見ないような食の多様性を生みだし、またその一方で日用の食器のあり方も強く規定してきました。それは一見、特殊な伝統に縛られた印象を与えがちですが、こうしたクルハドの劇的な復活のように、ときに現代に合わせた非常にダイナミックでスマートな変化として姿をみせてくれもします。

そんな現代インドのダイナミズムに思いを馳せながら、今宵はしっかりとスパイスの効いた本格インド料理に舌鼓を打つのもよいかもしれません。

※ ご覧の時期によって価格等ご案内の情報が異なる場合がございます。最新の情報は各店舗にてご確認ください。

ABOUTこの記事をかいた人

「器の愉しさを、もっと身近に」という想いを胸に、代々のスタッフがバトンを繋いできた食卓のエッセイ集です。ある時は 古典文学に想いを馳せ、ある時はイースターの食卓を飾り付ける。京都発、器が大好きな私たちの、ちょっとマニアックで愛おしい「器と文化愛」が詰まったコラムたち。数十年にわたり、メールマガジンを通じて数万人の器ファンに届けられたコラムを復刻しています。