この記事はに配信されたメールマガジン「ティータイム通信」コラムの復刻版です。当時のクリエイティブ担当・佐々木が、晩秋にまつわるエッセイを綴りました。
※役職は配信当時のもので、現在は変更または退職している場合があります。
当コラムの執筆でもそうですが、文章を書くとき、その出だしの一文にはかなり気を遣うところがあります。読み手との最初の出会いでもありますし、その後の内容全体を左右してしまうような気がするためです。
2021年11月1日コラム
名うての書き手の文章に向き合うときは、居合の現場に臨んでいるような、といえば少し大げさですが、そんな緊迫した感覚が確かに漂います。ところが、冒頭に引用した一文を目にしたときは、眼前に切っ先鋭い刀が迫ってくるというよりも、とつぜん背後から鈍器で頭を殴られたような、そんないまだかつてない衝撃がありました。
アフリカはナイジェリアの作家、エイモス・チュツオーラの小説『やし酒飲み』は、1950年代初頭にイギリスの出版社から発表されると、瞬く間にセンセーションを巻き起こしました。それまでまったく無名だったアフリカの貧しい青年が欧米の読書人たちの後頭部に未知の衝撃を与えたわけです。
小説の筋はというと、やし酒を飲むことしか能のない主人公が、死んでしまった自分専属のやし酒職人を探しに「死者の町」を目指すべく森のなかに分けいり、得体の知れない神だか精霊だかが次から次へと現れる禍々しいにもほどがある異様な世界を旅する、という奇天烈。
作者の母語であるヨルバ語の影響を受けた独特な英語で書かれたこの小説では、すべてが唐突に発生、伏線も脈絡もお構いなしに、主人公の奇妙な語り口に乗って奇妙な物語が進んでいきます。近代的な合理性などまったく意に介すことなく、アフリカの土着の魂がにおい立つプリミティブなエネルギーに満ちていて、それが出だしの一文には凝縮されています。アフリカに行ったことはなくとも、アフリカを強く感じさせ、あの広大な熱い大地の真っ只中へと瞬時にトリップさせてしまう魔力があります。
この魔力を生じさせる要素はなにかと考えてみますと、やはり「やし酒」という馴染みのない存在にもあるのではないか。これがビールやワインだと、それほどアフリカを感じることはないでしょう。最近は手広く洋酒を扱う専門店も巷に増えて外国産のいろいろなお酒が常時並んでいますが、いまだかつてやし酒というのは見たことがありません。知る限りのバーやレストランでも同様ですし、周りでやし酒を愛飲している人など聞いたことがありません。こんなグローバルな時代に、これほど存在を確認できないお酒があったとは、いまさらながら驚きです。
海外旅行が簡単にできなくなって久しい昨今、とにかく遠くへ行きたいという渇望が自分のなかで日増しに高まっていて、気がつけばアフリカはもちろん世界中の秘境にまつわる映像作品や旅行記の類に目がいってしまうのですが、そのなかに偶然にも、やし酒が登場することが幾度かありました。
たとえば古いものでは、かの『東方見聞録』。実はなかなかの呑兵衛であったとみえるマルコ・ポーロは、故郷ベネチアと中国とのあいだを旅するなかでその地方ごとの地酒について逐一レポートしています。やし酒とはインドネシアのスマトラ島やインドの西南端地方など南方各地で出会っていて、ワインより酔っぱらっちゃう、などと嬉しそうに書き記していたりします。
このようにアフリカのみならず、アジアでも古くから日常的に親しまれてきたやし酒ですが、いずれにしてもその原料はヤシの木の樹液です。なんとなくやし酒と聞くと、ヤシの実からできていそうですが、そうではなく、ココヤシやサトウヤシなどの高木に登って枝に傷をつけ、そこから滲みだしてくる甘い樹液を集めてそのまま自然発酵させると翌日にはビール程度のアルコール度数が得られるといいます。
しかも、地域によっては樹液を採取するさいに枝にくくりつける容器として、あの「人類の原器」たるヒョウタン(前月1日号参照のこと)を使うこともあるらしい。アフリカで野生のチンパンジーが木の上で自然にできたやし酒で飲み会をしている事例が確認されていることを思えば、まだ素焼きの壷を手にしていない原初の人類がヒョウタンで酒を醸した伝統がいまに残っていても何ら不思議ではありません。
こうなると、いやがおうでも実際にやし酒を飲んでみたくなります。関東にはやし酒を提供するアフリカ料理店があるらしいのですが、関西ではどうも見当たりません。アジア料理の店にもいろいろと問い合わせてみたものの不発。最後の手段としてナイジェリア大使館にでも相談しようかと思っていた矢先、ふと某大手ショッピングサイトをみていると瓶詰めされたアフリカ産やし酒が売られているではないですか。
早速に注文し、早々に到着したやし酒の栓を、いそいそと開けると、あたりに甘い香りがほのかに漂います。白濁した色合いで山廃仕込みの日本酒にも似た香気と酸味があって、口当たりはカルピスのようでもあり、度数が低いぶんクイクイと飲めてしまいます。火入れして発酵を止めているので『やし酒飲み』の主人公が飲んだ生酒とは風味が違うとは思いますが、それでもアフリカの大地のエキスが凝縮されているような力強さがあります。
そしてなによりも、飲む前と後ではチュツオーラの文章がまた違ったように感じられます。あの前後不覚に陥らせるような脳髄を揺さぶる衝撃ではなく、主人公が分けいった深い森のなかへと脳髄そのものがしんしんと溶かし込まれていくような静かな衝撃に変わったとでもいいましょうか。樹上で宴会していたころの原始の記憶がよみがえってしまったのか、それともたんに飲み慣れぬお酒を飲んで酔っ払っただけなのかもしれませんが。
とはいえこれがもし生酒で、しかも現地で飲んだあとに、あの冒頭の一文を読んだとしたらと考えると、まだ見ぬアフリカの大地と幻酒の魔力に迫ることのできる日がいまから愉しみでならないのです。
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