猫と軍艦 その三

この記事はに配信されたメールマガジン「ティータイム通信」コラムの復刻版です。当時のクリエイティブ担当佐々木が、七夕にまつわるエッセイを綴りました。
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幕末の混乱のさなか、一介の陶工でありながら、溢れるモノづくりの情熱を傾けて西洋式軍艦「開成丸」を造り上げた三浦乾也。

2021年7月1日コラム

彼は開成丸の処女航海にも参加しています。目指したのは江戸でした。真冬の江戸沖に突如として現れた威容は、再びの黒船かと市中を騒然とさせたといわれます。当時すでに老中の阿部正弘は他界しており、彼にその雄姿を見せることができなかったことが、乾也には唯一大きな悔いだったようです。

乾也にとって文字通り人生最大の作品であった開成丸は、残念ながら現存していません。しかし、彼のモノづくりのDNAは東北の地にいまでも受け継がれています。実は、軍艦建造と並行して、乾也は彼本来の生業である焼き物の分野でも活動していました。その足跡は、仙台で現在まで続く「堤焼」の伝統に深く息づいているのです。

仙台藩では地元の土を使って焼いた日用雑器が早くから作られ、下級武士の副業として奨励されていたようです。元禄年間にはいり、四代藩主綱村が江戸から陶工上村万右衛門を招いて指導に当たらせたことで、釉薬を用いた茶陶などの生産も始まりました。現在の仙台市青葉区堤町に窯場が集まったことから、その名をとって堤焼と呼ばれることになります。

こうして仙台城下近くで盛んに作られ、各地にも流通した堤焼でしたが、東北を繰り返し襲った飢饉の影響から逃れることはできませんでした。とくに天保の大飢饉でその多くが廃業に追い込まれ、堤焼は風前の灯火となります。

仙台藩は、度重なる飢饉による被害はもちろん、幕府から命じられた蝦夷地警固などの費用も重なって、ますますひっ迫する財政の立て直しを迫られました。策を探るなか目を付けたのが藩内産業の柱のひとつとして堤焼を復興することでした。そしてその指導者として乾也以上の適任者があろうはずはありませんでした。

乾也は軍艦造りの合間を縫って陶工たちの指導に当たりました。そのなかに、後に堤焼の名工と謳われる庄子義忠がいました。義忠はその技量を乾也から高く評価されて「乾」の字を与えられ、以後「乾馬」と号します。この「乾」の一字は、江戸時代を代表する芸術家である尾形乾山から来ているものです。尾形光琳を兄にもち、いわゆる琳派の立役者として絵や陶芸の分野で異彩を放った乾山は、晩年に関東で活動したことで江戸の地にその陶法が受け継がれることになりました。

乾也はまだ十代の頃に伯父の吉六とともに、江戸吉原の名主で乾山五世として乾山流陶法の継承者でもあった数寄人・西村藐庵(にしむら・みゃくあん)の弟子となります。その後、乾山六世を襲名した乾也は、初代から伝わる秘伝書を受け継ぎました。庄子義忠は乾也からこの書を書き写すことを許され、堤焼に乾也を経た乾山流陶法が根付くことになったのです。

こうして乾也を通じて復興した堤焼は、後進の努力もあり明治に入って最盛期を迎え、窯元も30軒ほどに上りました。民藝運動の主導者であった思想家・柳宗悦が昭和のはじめ頃に仙台を訪れ、黒白の色合いにナマコのような文様が浮かび上がる釉薬の景色を高く評価したこともあって、堤焼は東北を代表する焼き物として認知されます。残念ながら第二次世界大戦後に窯元の数は大きく減りましたが、乾也以来の堤焼の伝統は、庄子義忠の縁戚筋で代々乾馬を襲名する針生家によって現在に引き継がれています。

ところで、堤焼にはこうした日用雑器のほかに、「堤人形」と呼ばれる色彩豊かで愛らしい土人形が古くから作られてきました。「西の伏見、東の堤」と評され、福島の三春人形や岩手の花巻人形など東北各地の人形文化に影響を与えた堤人形は、四代藩主の綱村公が江戸から呼び寄せた上村万右衛門によって創始されたと伝わります。

ここで注目すべきは、万右衛門の来歴です。一説によると、彼は今戸焼の陶工であったといわれています。そうであれば、堤人形の由来もっといえば堤焼自体の源流は今戸焼にあった可能性が高くなります。万右衛門と乾也という、今戸焼と今戸人形の伝統につながる二人の陶工が前後して仙台の焼き物の礎を築き発展させたことは、東日本の焼き物交流史のハイライトのひとつといえるでしょう。

堤人形は、現在でも仙台の伝統工芸品として人気があり、なかでも縁起物の猫の人形は一番の売れ筋だと聞きます。幕末に浅草近辺の窯のなかで生まれた招き猫は、ブームに乗って日本各地に広がり、さまざまなバリエーションを生み出しました。堤人形の猫もその影響を強く受けていると考えられます。

三浦乾也という異才を生み出しながら、いまでは幻となった江戸を代表する焼き物の伝統は、こうして時空を超えて幾重にも重なりあい、互いに影響を与えながら現代へと確実に受け継がれているのです。

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「器の愉しさを、もっと身近に」という想いを胸に、代々のスタッフがバトンを繋いできた食卓のエッセイ集です。ある時は 古典文学に想いを馳せ、ある時はイースターの食卓を飾り付ける。京都発、器が大好きな私たちの、ちょっとマニアックで愛おしい「器と文化愛」が詰まったコラムたち。数十年にわたり、メールマガジンを通じて数万人の器ファンに届けられたコラムを復刻しています。