デザインするユートピア

この記事はに配信されたメールマガジン「ティータイム通信」コラムの復刻版です。当時のクリエイティブ担当佐々木が、ギフト・歴史・春にまつわるエッセイを綴りました。
※役職は配信当時のもので、現在は変更または退職している場合があります。

王侯貴族がこぞって高価な磁器を収集して邸宅のなかに飾り付けたほか、外交の場で晩さん会の食器として、あるいは贈答品として用いられることもありました。自らの権力を内外の要人に見せつけるためのプロパガンダとして利用されたわけです。

中世のヨーロッパで東洋の磁器があこがれの的であったことはよく知られています。

18世紀にドイツのザクセンで西洋初の磁器焼成が成功して以来、ヨーロッパ各地で磁器づくりが行われるようになり、その政治的な利用価値は一層大きくなっていきました。それとともに、磁器のデザインにも他にはないものが求められるようになっていきます。当初は中国や日本の磁器の模倣から出発し、そこからそれぞれの窯の独自性が芽生えていくことになりました。

ヨーロッパの各地には歴史のある名高い磁器産地がありますが、そのなかでもとても短期間のうちにプロパガンダ熱の極度の高まりとそれに合わせたデザインのダイナミックな変遷を経験したのは、ロシアをおいてほかにないように思います。

ロシアの磁器づくりの濫觴は、18世紀初頭のピョートル1世の時代にさかのぼります。ピョートル1世はヨーロッパ外遊時に、プロイセンのシャルロッテンブルク城などで絢爛豪華な「磁器陳列室」を目の当たりにし、心を奪われます。ホスト国の外交攻勢にまんまと当てられたといえるでしょうか。

自前の磁器を作るという、ピョートル1世に始まって娘のエリザヴェータに引き継がれた悲願は、試行錯誤の末に1750年になって達せられます。その後250年以上にわたって現在まで続く「インペリアル・ポーセリン」の幕開けです。

この長きにわたるインペリアル・ポーセリンの歴史のなかで、これ以上ない劇的な変化の刻はロシア革命であったことは間違いないでしょう。それまで皇帝のためだけに存在した工房は、人類が経験したことのない政治体制下に突如として置かれることになったのです。

端的に言って、ソヴィエトが追求したのは、新しい人間の創出でした。そのためにもユートピアとしての革命ロシアの姿を全世界に向かって広くアピールすることが必要となりました。もちろん芸術や工芸といった分野にはとくにこのことが強く求められました。

1920年以降、ロシア・アヴァンギャルドの全盛期となり、国立の芸術学校「ヴフテマス」を中心にして、絵画、彫刻、グラフィックなどの学科とともに、陶芸科も設けられ、前衛的な芸術教育が進められました。

ソヴィエト政府管轄となって名称も変わった、かつてのインペリアル・ポーセリン工房でも、共産主義思想にもとづく前衛的なデザインの作品が生産されるようになります。著名なグラフィック・デザイナーであったチェホーニンが美術監督に就任したことで、プロパガンダとしての磁器デザインの制作が顕著になっていきました。

一方で、ロシアのナショナリズムを反映した要素も磁器デザインに取り入れられていきます。たとえば、専門的な美術教育を受けた画家であったシェコチーヒナ=ポトツカヤは、ロシア民話を基調としたカラフルなデザインを得意としました。

こうしてロシアの磁器は、革命を機にそれまでとは比較にならないほどの規模でプロパガンダのために用いられることになりましたが、その特異な状況下でアヴァンギャルドとナショナリズムとが融合・昇華した独特な世界観が育まれたのです。

実は、このときの経験は、今のロシアにも引き継がれています。たとえば、現在のインペリアル・ポーセリンのなかでも人気のある「コバルト・ネット」のシリーズは、スターリン時代末期に生まれましたが、これはかつて皇帝エリザヴェータのために制作された食器セットからインスパイアされたデザインなのです。

今年はソ連崩壊30周年の節目の年に当たります。激動の20世紀に焼き物がたどった数奇な運命を回顧するうえでも、「インペリアル・ポーセリン」は今後ますます注目のブランドだといえるでしょう。

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「器の愉しさを、もっと身近に」という想いを胸に、代々のスタッフがバトンを繋いできた食卓のエッセイ集です。ある時は 古典文学に想いを馳せ、ある時はイースターの食卓を飾り付ける。京都発、器が大好きな私たちの、ちょっとマニアックで愛おしい「器と文化愛」が詰まったコラムたち。数十年にわたり、メールマガジンを通じて数万人の器ファンに届けられたコラムを復刻しています。