この記事はに配信されたメールマガジン「ティータイム通信」コラムの復刻版です。当時のクリエイティブ担当・佐々木が、バカラ・ボヘミア・グラスにまつわるエッセイを綴りました。
※役職は配信当時のもので、現在は変更または退職している場合があります。
プレゼントの定番にはいろいろとありますが、やはりバカラの美しい作品の数々は根強い人気があります。
2019年2月1日コラム
そろそろ今年もバレンタインの時期が近づいてきました。
クリスタルグラスのトップブランドとして、フランスのバカラは世界的に知られていますが、そもそもクリスタルグラスの発祥はフランスではなく、18世紀のイギリスです。
当時産業革命下のイギリスでは、石炭への依存を多く高めていました。石炭では高い温度でガラスを加工することが難しいという欠点がある一方で、低温度でガラスを加工できれば、ヨーロッパへ輸出するうえでコストを大きく下げられるメリットもありました。
そうしたなか、酸化鉛を入れて低温度でガラスを生産する技術が発明されたのです。鉛を入れることで透明度の高いガラスになったのは副次的な出来事に過ぎなかったといえます。
ですが、そのクリスタルガラスの技術が海を越えてベルギー、そしてフランス北東部のロレーヌ地方―バカラ創業の地―にもたらされ、独自に洗練されていくことになります。
ロレーヌ地方は、薪や珪砂などガラスの原料が豊富に調達できた土地柄であったことから、古くからガラス工芸の中心地でした。
もっとも、長らくヨーロッパのガラス工芸をけん引してきたのは、ボヘミアングラスでした。ハプスブルク帝国の庇護のもと、ガラス表面に浅く彫刻を施す「グラヴィール」技法を確立し、ヨーロッパ中の貴族たちをとりこにしてきたのです。
ところで、ガラス技術者で、サン・ルイの経営にも関わった経験があるフランス生まれのベルギー人に、エメ=ガブリエル・ドアルティーグという人物がいます。彼は、ベルギーの王立ガラス工場として1778年創業した「ボナシェ」のオーナーにまで上り詰め、一時はヨーロッパ最大のガラス工場にまで成長させました。
ところが、ナポレオンの没落でベルギーがフランス領から離れてしまうと、ボナシェの製品はフランスの市場で多額の関税がかかり、経営を大きく圧迫することになりました。そこでドアルティーグは、フランス国王にかけあって、フランス国内にも工場を作ることを条件に特別に関税を免除してもらうことになったのです。
そのときフランスで新設される工場の母体となったのが、バカラだったのです。バカラは1764年の創業ですが、クリスタルガラスの製造をするようになったのは、ボナシェとの連携を得るようになった1816年のことなのです。
バカラが、高いクオリティをもった美しい逸品を生み出し続けてこられた大きな理由のひとつは、こうした歴史的な背景にも見出せるように思います。
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