Christmas truce

この記事はに配信されたメールマガジン「ティータイム通信」コラムの復刻版です。当時のショップスタッフ中島が、ロイヤルコペンハーゲン・プレート・クリスマスにまつわるエッセイを綴りました。
※役職は配信当時のもので、現在は変更または退職している場合があります。

「クリスマスまでには帰れる」 1914年の夏、兵士たちはそう言って戦場行きの列車に乗りこみました。サラエヴォで放たれた一発の銃弾は世界大戦という未曾有の惨禍をもたらしましたが、開戦当初、ヨーロッパの人々はこれが4年におよぶ悲劇の幕開けだとは考えていませんでした。

1914年のクリスマス、兵士たちはいまだ塹壕の中でした。仏独間の西部戦線ではベルギー、フランス、ドイツにまたがる1000㎞以上の塹壕が掘られ、敵味方が視線をかわすほどの距離を挟んで膠着状態に突入。戦争は文字通り泥沼の戦いとなっていたのです。それでもクリスマスは特別な日でした。

イギリス軍、ドイツ軍の兵士はささやかな贅沢品を支給され、二つの塹壕ではそれぞれの国の言語で、しかし思うところは同じ祝いの言葉が交わされました。英語ならMerry Christmas。ドイツ語ならFrohe Weihnachten。このとき、両軍の距離はわずか数十メートルしかありません。お互いの声が十分に聞こえる距離です。彼らは「敵」が歌う賛美歌に耳をそばだてます。

それはいくつかの場所で、色々な形をとって始まりました。ある場所ではメリークリスマスと声をかけ合い、ある場所では交互に賛美歌を歌い、ある場所では勇敢な兵士が贈り物を携えて塹壕を出ました。最初は罠ではないかと警戒されましたが、一人また一人と塹壕から中間地帯へ歩み出て、やがては何十人ものイギリス兵とドイツ兵が握手を交わしました。クリスマスの一日だけ、彼らは同じ思いを抱く「友人」となったのです。

大抵は24時間、長くても数日間の非公式休戦のあいだ、イギリス兵とドイツ兵たちは大いに親交を深めました。彼らは決して豊かとはいえない所持品からプレゼントをみつくろうと、酒や煙草、菓子を贈りあい、ボタンのような小物を交換しました。

プレゼント交換が済んだ後は、塹壕暮らしの愚痴をこぼし、記念写真を撮り、互いの健康を祈って乾杯し、サッカーで遊びました。ある指揮官は部下を制止していたものの、結局はプディングを返礼としてドイツ人将校とビールを飲み交わしました。

サッカーはボールが鉄条網にささって試合終了となりましたが、ドイツチームの勝利に終わりました。楽しい騒ぎが終わると、両軍の兵士たちは戦死者のために共に祈りを捧げ、戦争が早く終わればよいのにと語りあいました。

そしてクリスマスが終わり、再び戦争が始まりました。休戦は狙撃兵の弾丸によって破られ、将校は兵士たちが戦闘を放棄することを厳しく禁じます。「友人」は再び「敵」となり、1915年のクリスマスはプレゼントではなく砲弾が飛び交いました。これ以降このようなクリスマス休戦は実現せず、大戦は1918年11月まで続くことになります。

今年2016年は1916年に戦われたソンム会戦(第一次世界大戦でも最大の激戦の一つ)から100周年を迎え、イギリスでは兵士の出征を再現するイベントが行われるなど、第一次世界大戦を思い起こす年となりました。どんな出来事も時がたつにつれて忘れられていきますが、往時から現代まで受け継がれてきたものには過ぎた時代を偲ばせる力があります。

ロイヤルコペンハーゲンのイヤープレートなども、一見それとは分からないものの、その年々のメッセージが込められていると言う人もいます。1916年の絵柄はクリスマスを意味するJULの字とともに、野の羊飼いが描かれました。聖書の一節、天使がイエスの誕生を羊飼いに伝えるシーンですが、この宗教的な意匠にどんな思いが込められていたのでしょうか。今年2016年のイヤープレートでは、自転車を押す少女がコンゲンス・ニュートー広場に設けられたスケートリンクを眺めている、日常的な景色が選ばれています。広場奥では王立劇場や老舗デパートが美しく輝く、何事もない平和なクリスマスです。この穏やかな光景がいつまでも続くことを願っています。

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「器の愉しさを、もっと身近に」という想いを胸に、代々のスタッフがバトンを繋いできた食卓のエッセイ集です。ある時は 古典文学に想いを馳せ、ある時はイースターの食卓を飾り付ける。京都発、器が大好きな私たちの、ちょっとマニアックで愛おしい「器と文化愛」が詰まったコラムたち。数十年にわたり、メールマガジンを通じて数万人の器ファンに届けられたコラムを復刻しています。