【中国 端午の節句】の由来

この記事はに配信されたメールマガジン「ティータイム通信」コラムの復刻版です。当時のル・ノーブル編集部が、父の日・歴史・梅雨にまつわるエッセイを綴りました。
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もう少しで夏至がきて、本格的な夏を迎えます。気が付けば、辰年は半分過ぎています。日本では6月に父の日以外大きな祭日が少なく、おとなしい季節です。中国ではこの季節になると人々は粽(ちまき)作りの準備、端午の節句を迎えるため盛んになります。

ル・ノーブル本社輸出入部の中国出身の馮と申します。

日本で生活して10年を経つ私にとっても、この季節になると故郷の大切な祭日、端午の節句を思い出し懐かしく思います。

中国の端午の節句は端陽節、五月節、夏節などと呼ばれ、中国の三大民俗祭日(春節、端午節、中秋節)の一つで、端午は陰暦5月5日にあたり、とても古い祭日です。「端午」は最初「端五」と呼ばれていましたが、「五」と「午」が同音のため、後に「端午」と書くようになりました。

ドラゴンボート・フェスティバルというイベントが開催され、本年は6月23日にあたります。

端午の節句の由来はいくつかの説がありますが、中国の民間に定着したものとして戦国時代の楚の国の愛国詩人、屈原(くつげん)に関するものがあります。楚の国の貴族集団の腐敗に対して、屈原は内政改革、法制の設立、賢士重用の主張をしましたが、それをよく思わない楚の懐王は屈原を追放してしまいました。

その後、秦は楚を攻略し、楚国の滅亡は迫りました。屈原は恨みをのんで5月5日に汨羅江という川に身を投じました。当時、屈原氏の殉国を悲しく聞いた人々は舟を競い救いにかけましたが失敗し、魚が屈原によりつかないように太鼓を叩き、また魚が屈原の体を食べてしまわないよう川に粽を放ちました。

これは現在、中国の端午節に竜舟を漕ぎ、粽を食べる由来と言われています。

【中国 端午節句】イベント・習慣

中国の各都市によって、端午節での様々なイベントが行われます。ドラゴンボート・レースと粽を食べるのは多いです。ドラゴンボート・レースは参加者が装飾されたドラゴンボートで、激しい太鼓の音に合わせて速さを競い合います。

粽は場所によって、味付けと作り方が異なります。粽は北京粽、蘇州粽、嘉興粽、広東粽などが有名です。

私の故郷海南では塩つけ卵の黄み、豚角煮をあんにする粽が代表です。ほかには菖蒲の葉を門に飾り、薬草酒を飲んだり、薬草湯に入れたり様々な習慣があり、端午節に雨水を集める風習もあります。この日に降った雨水は天の竜が下界にそそいだ聖水で、災いを除き、病を治すという説もあります。

中国端午の節句の習慣は平安時代に日本へ伝わってきました。5月5日になると、人々は粽や柏餅を食べ、菖蒲湯に入っていました。粽は中国から伝わってきたもので、古くは「茅(ちがや)」の葉で包んでいたため、「茅まき」と呼ばれ、「茅」は「ち」ともいい、「ちまき」と呼ばれるようになったようです。

柏餅は日本独特のものです。柏餅を食べるのは、柏の木は新芽が出ないかぎり古い葉が落ちないので、家系が絶えない「子孫繁栄」の縁起ものと言われます。

また、この節句に付き物の菖蒲が尚武に通じるところから、現代日本の5月5日(陽歴)は男の子の節句になり、男の子の健やかな成長と出世を願って、鯉のぼりや武者人形、よろい、兜が飾られるようになったようです。

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「器の愉しさを、もっと身近に」という想いを胸に、代々のスタッフがバトンを繋いできた食卓のエッセイ集です。ある時は 古典文学に想いを馳せ、ある時はイースターの食卓を飾り付ける。京都発、器が大好きな私たちの、ちょっとマニアックで愛おしい「器と文化愛」が詰まったコラムたち。数十年にわたり、メールマガジンを通じて数万人の器ファンに届けられたコラムを復刻しています。