山紫水明の地

この記事はに配信されたメールマガジン「ティータイム通信」コラムの復刻版です。当時のル・ノーブル編集部が、にまつわるエッセイを綴りました。
※役職は配信当時のもので、現在は変更または退職している場合があります。

例年に比べ少し遅めの桜。ル・ノーブルのある京都ではようやく早咲きの桜などが咲き始めました。私が京都で学生だった20年ほど前は現在のような花粉症もありませんでした。うららかな春の景色に誘われて、この時期にはよく外に出て鴨川べりなどの散歩を楽しんでおりました。

題「山紫水明の地、日本」

三方を山に囲まれ、街中を鴨川が流れる京都は、「山紫水明」の地として知られています。比叡山や東山の緑が手の届きそうなところまでせまり、鴨川や桂川、そして湧き水も豊富。古くより酒造や豆腐作り、染物などの水を使った産業もさかんです。

その「山紫水明」という言葉の語源は、江戸時代の文化人、頼山陽(らい・さんよう 1780~1832)の造語で、彼が晩年に京都の鴨川縁に構えた書斎「山紫水明処」の名に始まるといわれておりました。山陽が夕暮れに染まる京都の山々や、鴨川の水面がきらきらと輝く様をその書斎から観賞したことが偲ばれます。

しかし近年の説によれば、山陽は鴨川縁の書斎「山紫水明処」を建てるより以前にその「山紫水明」という言葉を使っていたようです。若き日、尾道に住む女流画家・平田玉蘊に思いを寄せていたといわれる頼山陽。その平田玉蘊を訪ね、広島は福山~尾道あたりに滞在した際、瀬戸内の景色を「山紫水白」と表現したり、宿泊した部屋を「山紫水明処」と呼んでいたというのです。元祖「山紫水明」は京都の景色ではなく、広島は瀬戸内の景色ということになるのでしょうか?

考えれば、湿潤な気候帯にある島国の日本。そこかしこに美しい山や川や海があり、京都・広島に限らず日本全土が「山紫水明」の地と言えそうです。

先日の震災では東日本を中心に、人命をはじめ、あらゆる方面に多くの被害がでました。まだまだ遠い道のりですが、少しでも早く「山紫水明の地、日本」が復興することをお祈りいたします。

その分をお一人お一人のお気持ちとして、被災地方への義援金等に充てていただき、お役立ていただきたく存じます。

被災された方々のお役に立てますよう、微力ではございますが、今お客様と共に私たちに出来ることを行っていきたいと思います。

ガンバレ日本!(特集「愛すべきNIPPON」へリンク)

元祖?!「山紫水明」の地京都より

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「器の愉しさを、もっと身近に」という想いを胸に、代々のスタッフがバトンを繋いできた食卓のエッセイ集です。ある時は 古典文学に想いを馳せ、ある時はイースターの食卓を飾り付ける。京都発、器が大好きな私たちの、ちょっとマニアックで愛おしい「器と文化愛」が詰まったコラムたち。数十年にわたり、メールマガジンを通じて数万人の器ファンに届けられたコラムを復刻しています。