この記事はに配信されたメールマガジン「ティータイム通信」コラムの復刻版です。当時のル・ノーブル編集部が、端午の節句にまつわるエッセイを綴りました。
※役職は配信当時のもので、現在は変更または退職している場合があります。
先日友人にある本を勧められました。その本には世界の紛争や国境についてが描かれており、そこには今まで知らなかった、また考えもしなかった世界が広がっていました。
今日は特に興味深かった話をいくつかさせて頂きます。
まず始めに、皆さんは何故国境ができたのか、どのようにして定められたかについて考えた事はありますか?
現代のような形で、国境が決められたのは、1648年のウェストファリア条約からだと言われています。この条約によって、30年もの間続いた、カトリックとプロテスタントの宗教戦争が終わり、お互いの領土を尊重し合うという意識が生まれました。それまでは各国の勢力範囲はおおよそ決まっていたものの、はっきりとした線引きはありませんでした。
日本人が他国へ旅行する際、「海外旅行」という言葉を使うことからも、私たち日本人にとっては国境はなかなか実感しにくいものでもあります。
しかし、世界中の多くの国は国境を持っており、その定められかたも多種多様です。宗教の違いや紛争によって国境が定められた国もありますが、中にはユニークな方法で国境が定められた国もあります。
世界第5位の面積を持つブラジル連邦共和国。南米の約半分を占めてしまうほど、ひときわ大きく目立つ国です。他の南米諸国が主にスペイン語を話すのに対し、ブラジルだけはポルトガル語を話します。
何故ブラジルだけが唯一あんなに大きな国土面積を持ち、そしてポルトガル語を話すのか。その歴史はヨーロッパの中世から近代にかけての事情が深く関係しています。
1807年にフランスの英雄、ナポレオンはポルトガルを侵攻します。攻められたポルトガル王室は自国の植民地であった、ブラジルへと逃げ込み、ナポレオンが敗れる1821年までブラジルに滞在しました。そして国王がポルトガルへと戻る際、皇太子を摂政としてブラジルへ残していったのです。
これこそが広大な面積を持つ、現在のブラジル連邦共和国を生むきっかけとなったのです。
翌1822年、残された皇太子がブラジルを独立させました。ポルトガル国王としても自国の植民地を、まして皇太子が摂政としている国を攻めるわけにもいかず、大きな争い事なくして、ブラジルは分裂せず、広大な国土面積を持つ事が出来たのです。
クイズの問題にもよく取り上げられる世界最小の国、バチカン市国。その広さは東京ディズニーランドより少し小さいくらいと言われています。ヨーロッパと宗教をめぐる長く深い関係がきっかけで、この世界最小の国は生まれました。
1860年、イタリアが独立した時、イタリア政府はバチカンを国家としては認めませんでした。しかし、1920年代、イタリアの政治家ムッソリーニが政権をとって以降、イタリア政府とバチカン市国は和解しました。
「イタリア政府はバチカン市国を国として認め財政援助をする」「バチカン市国は教皇領を放棄する」という条件のもと、両者は合意し、バチカン市国は晴れて国家として存在する事が出来たのです。
しかし、このバチカン市国、現在でも他の国とは大いに異なっています。例えばバチカン市国民はほどんどが聖職者であり、カトリック聖職者でバチカンで働く事になった人が国民になるという点。また、国家として存在していますが、特にパスポートがなくても自由に行き来できる点。バチカンは世界遺産になっており、観光名所が多い国でもあるので、こういった自由がきく点からかなりの人が訪れる場所にもなっています。
世界の国境を見てみると、国境には人間の悲喜を含む、様々な物語が詰まっている事に気づかされます。ただ単に線引きがされた訳ではなく、そこには私たちの知らない様々なドラマがあったのです。普段何気なく見ている世界地図も、このような国境ドラマを知ってから見ると、また違った見方が出来るようになるかもしれませんね。
さて今回お話させて頂いた国、イタリアにちなんで、ル・ノーブルで取り扱っているイタリアからの商品を紹介させて頂きます。
※ ご覧の時期によって価格等ご案内の情報が異なる場合がございます。最新の情報は各店舗にてご確認ください。







