この記事はに配信されたメールマガジン「ティータイム通信」コラムの復刻版です。当時のバックオフィス・岡本が、ハロウィンにまつわるエッセイを綴りました。
※役職は配信当時のもので、現在は変更または退職している場合があります。
2016年夏季五輪の開催都市は、ブラジルのリオデジャネイロに決定しました。おめでとうございます。インフラ整備に32兆円の大プロジェクトになるそうです。
今回は、平安の昔にも大プロジェクトがあった。鴨川が人口河川であったというお話です。
現在、京都の鴨川は、Yの字をしており上流の西の賀茂川と東の高野川が京都市内の北東部で合流しその後、下流の鴨川と名前を変え京都市内の東側を北から南に流れています。
堤防では、春には桜並木も美しく、河川敷は散歩に格好のスポットといえます。三条通りから四条通りにかけて、川の東西には物販や飲食店などが数多く立ち並び地元や観光客の人々で賑わっています。夏には、納涼床も設けられます。
さて、どうして鴨川を作り変える必要があったのでしょうか。それは、平安京が遷都されるに際し、北部の山地に源を発した賀茂川は、北東から南西に傾斜した地形にしたがって、現在より西南へずれて流れていたもので、高野川とは現在の合流地点よりもずっと西南の地点で合流していました。
このまま、造成すれば、川によって都は東西に分断され、町の機能を果たさなくなってしまうであろうと考えられました。また、鴨川は、たびたび洪水を起こしており、流路を場外に避けることにより、水害を回避しようと考えられました。そこで、賀茂川~鴨川のルートを現在のように5Km以上東側につけかえて流すことが考えられました。
工事は、大内裏工事と土地を掘り返し、堤防を作る河川工事です。桓武天皇が平安遷都に際し、西暦793年に造宮職をつくり、西暦806年まで残されたように、長期にわたる大事業となりました。
では、これだけの事業です。資金はどのように確保されたのでしょうか?それは、豪族の秦氏の経済的協力があったと考えられます。【塚本常雄氏 学説より】
さて真偽のほどは、スケールの大きい事を考えると心が元気になりませんか。
※ ご覧の時期によって価格等ご案内の情報が異なる場合がございます。最新の情報は各店舗にてご確認ください。







