取っ手のお話

この記事はに配信されたメールマガジン「ティータイム通信」コラムの復刻版です。当時のバックオフィス楠橋が、和・ティータイム・歴史にまつわるエッセイを綴りました。
※役職は配信当時のもので、現在は変更または退職している場合があります。

今回は食器の「取っ手」にまつわる興味深い話を耳にし面白かったのでティータイムでご紹介したいと思います。

日本の湯のみには取っ手が付いていませんが、西洋のカップには取っ手が付いています。これは何故でしょう。それにはどんな歴史的・文化的な意義があるのでしょうか、というお話です。

解説されていた評論家(研究家)の話では、日本人は普通食器を持って食べるけれど、西洋人はなるべく食器を持たないで食べるからではないか、と言うのです。つまり、日本では、食器を手で直接触れて食べるので取っ手は不必要なものであるのに対し、西洋では料理は食器に触れずテーブルに置いてナイフとフォークで食べ、飲み物についても、できるだけ手で触れないようにするために取っ手を付けてそこだけを持って口に運ぶ、と解説されていました。

私なりに解釈すれば、和食器は“触の文化”であり、洋食器は“非触の文化”であると言えるのではないでしょうか。つまり、日本人は食器に直接触れ、肌でそのぬくもりのようなものを感じながら料理を味わうのに対し、西洋人は食器に触れることなく別の感覚(例えば目)で食器の良さを感じながら料理を味わうという食文化の違いがあると思います。私達日本人は小さい頃より、お箸は右手に、お茶碗は左手に持って食べなさい、と躾られました。食器は手に持って食べることが習慣として身についているのです。また、味噌汁については、「味噌汁を飲む」と言いますが、「味噌汁を食べる」とは言いません。これに対し、スプーンでスープを飲む場合、「drink soup」ではなく「eat soup」と言います。このdrinkとeatの違いは、器の取っ手の有無と何か関係があるように思います。日本と西洋では、食器を含めた食文化に色々な違いがあって興味深いなというのが、2006年の私の一番の感動でした。これらの違いがどんな歴史的背景から生まれたのかを探究するのは、2007年のテーマにしたいと思います。今回のコラムは、器の大きな人間になりたいと願う楠橋が担当しました。

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ABOUTこの記事をかいた人

「器の愉しさを、もっと身近に」という想いを胸に、代々のスタッフがバトンを繋いできた食卓のエッセイ集です。ある時は 古典文学に想いを馳せ、ある時はイースターの食卓を飾り付ける。京都発、器が大好きな私たちの、ちょっとマニアックで愛おしい「器と文化愛」が詰まったコラムたち。数十年にわたり、メールマガジンを通じて数万人の器ファンに届けられたコラムを復刻しています。