感動をもう一度!

この記事はに配信されたメールマガジン「ティータイム通信」コラムの復刻版です。当時の法人営業担当加藤が、バカラ・梅雨にまつわるエッセイを綴りました。
※役職は配信当時のもので、現在は変更または退職している場合があります。

4年に1度世界中が熱狂する、第18回を迎えたサッカーワールドカップドイツ大会。6月9日の開会式は、ドイツのミュンヘンにあるサッカー専用球技場で6万人を超える大観衆。そしてワールドカップ歴代優勝国の当時のメンバーが行進するという、サッカーファンには見ごたえのある演出でした。

ここ日本では、1994年初めてのワールドカップ出場を目前に、最後の最後で涙を呑んだ「ドーハの悲劇」として語り継がれる思い出があります。その苦い思いから4年後、マレーシアの地で初出場をかけてまたしてもがけっぷちの戦いを経験しました。途中出場の岡野選手の決勝ゴールで初出場を手にし、日本国中が沸いた「ジョホールバルの歓喜」(日曜日の深夜にもかかわらず平均視聴率47.9%でした)その観客席で今思えば運良く、私は日本のサポーターのひとりとして観戦していました。

初出場を決めたゴールのその瞬間、選手達が日本ベンチの岡田監督へ駆け寄るシーンを今でもテレビの特集などで見かけますが、実はテレビでは写っていないところで、反対のスタンドから狂喜乱舞する私たちのいる観客席に向かって走ってきてくれた選手がふたりだけいました。ディフェンダーの秋田選手と奈良橋選手でした。ゴールの瞬間ベンチを見向きもせず、その喜びを体一杯に表しながら走ってきてくれたふたりの光景は、今でも忘れることはありません。ふと目を閉じるだけで、その時の歓喜の声とともに感動が蘇ります__。

前回大会2002年の日韓共催では、日本が世界で戦えることを実感しました。そして、2006年。今や世界のクラブチームで日本選手が中心となって活躍することは珍しくなくなりました。そういった世界で戦っている選手達が中心となって勝つことをより求められる中望んだオーストラリアとの初戦は、残念な結果となってしまいましたが、ここからが日本の実力の見せどころです。

ちょっと余談ですが、日本代表ユニフォームの胸にある日本サッカー協会のシンボルマークをご存知でしょうか。実は『古事記』、『日本書紀』に記載のある三本足の烏「やたがらす」です。日本建国を目指し天照大神(あまてらすおおみかみ)の子孫である神武天皇東征軍が当時の和歌山県熊野から大和に攻め入る道中で迷ったとき、天からこの烏が舞い降りて一行を大和まで導いた物語から、「やたがらす」は勝利を導くシンボルとして、また明治時代に日本に初めて近代サッカーを紹介した中村覚之助氏が「やたがらす」を祀る神社のある和歌山県那智勝浦町の出身だったことからも、協会のシンボルマークとして採用されました。

話をもどして、日本代表を率いるディフェンダーでキャプテンの宮本選手は、前回大会に引き続き2回目の出場を果たしました。冷静な判断力とジーコ監督をはじめ選手達からの信頼も厚い統率力で、時には堪能な英語で審判と交渉する姿からも、日本代表の中で知的な印象が強い選手のひとりです。(それにイケメンなので女性ファンも多い!)

以前、ある雑誌で彼の普段の生活を特集にした記事がありました。その印象どおり、シンプルモダンの空間にバカラのベースがさりげなく飾ってあるのを見つけました。記事によると宮本選手はバカラを愛用しているらしい。ソファーに腰掛け、バカラのグラスを片手に、なんて・・。今はそれどころではありませんが、次のクロアチア戦、続くブラジル戦でも宮本選手の活躍はもちろん、何とか勝利をもぎとって欲しいものです。

「サムライ・ブルー」で染まるここ日本から、遥かドイツで奮闘する選手達へ今一度エールを送ろうではありませんか。フレー!フレー!ニッポン!!そして、感動をもう一度!

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「器の愉しさを、もっと身近に」という想いを胸に、代々のスタッフがバトンを繋いできた食卓のエッセイ集です。ある時は 古典文学に想いを馳せ、ある時はイースターの食卓を飾り付ける。京都発、器が大好きな私たちの、ちょっとマニアックで愛おしい「器と文化愛」が詰まったコラムたち。数十年にわたり、メールマガジンを通じて数万人の器ファンに届けられたコラムを復刻しています。