ジム・トンプソンの話

この記事はに配信されたメールマガジン「ティータイム通信」コラムの復刻版です。当時のEC運営スタッフ長田が、ジムトンプソン・七夕にまつわるエッセイを綴りました。
※役職は配信当時のもので、現在は変更または退職している場合があります。

デラウエア州グリーンヴィルで1906年に生まれ、セント・ポールズ、プリンストンから、ペンシルベニア州立大学へと進み卒業後はニューヨークで建築家として働いていたが、第二次大戦の勃発と同時に陸軍に入りました。

「1代で成功したアメリカ人実業家ジム・トンプソン」 とは?

トンプソンは、戦略事務局(OSS)に配属され、任務でアジアに送られました。彼の部隊は、パラシュート降下でタイに入る予定でしたが、1945年8月日本軍が降伏。戦闘が終わってわずか二日後トンプソンは普通の形でタイに入ることになりました。

タイの美しさと優しさにたちまち魅了された彼は、除隊命令を受けると、タイに住みつくことを決めました。一年あまりオリエンタルホテルの修復プロジェクトで働いていたのですが、やがてトンプソンはタイシルクの持つビジネスチャンスに興味を持つようになりました。昔ながらの手織りのタイシルクは、そのころ安い機会織物に押されて売れなくなっていたそうです。しかし、タイシルクの美しさと品質の良さは国外でも認められるはずだと確信したトンプソンは、少量のコレクションをもってニューヨークに行き友人たちに見せ、反応の良いことを確かめた彼は、再びバンコクに戻ると株主を募ってタイシルク・カンパニーを創立しました。

ビジネスは、決して一朝一夕に成功したわけではなかったのですが、堅牢な化学染料の導入など、解決すべき技術的問題はいくつもあったのですが、自信と熱意あふれるトンプソンを頼って職工が集まるようになり、顧客も着実に増えていったのです。大きな転機となったのは「王様と私」の舞台および映画の衣装にタイシルクが採用されたことだったそうです。ファッションデザイナーもインテリアデザイナーもこの光沢素材に魅了され、海外、国内市場ともに販売量が大きく伸びました。1960年代までには、タイ国内のシルク関係企業が100社以上になり、雇用総数も数千人にふくらんで、シルクはタイのもっとも有名な産物といえるまでになったのです。

同じ時期、トンプソンは東南アジア美術およびタイ建設への興味を深めていったとか。その二つの趣味が見事に融合されているのが、彼の建てたこの有名な屋敷(ジムトンプソンハウス)です。

1967年3月、ジム・トンプソンは友人達とマレーシアのキャメロン・ハイランドに休暇に出かけ、周囲のジャングルに散歩に出かけたまま二度と戻らなかった。彼の失踪は、今現在も謎につつまれたままです。

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「器の愉しさを、もっと身近に」という想いを胸に、代々のスタッフがバトンを繋いできた食卓のエッセイ集です。ある時は 古典文学に想いを馳せ、ある時はイースターの食卓を飾り付ける。京都発、器が大好きな私たちの、ちょっとマニアックで愛おしい「器と文化愛」が詰まったコラムたち。数十年にわたり、メールマガジンを通じて数万人の器ファンに届けられたコラムを復刻しています。