イギリス陶器産業の里
「ストークオントレント」を訪ねて
ロンドンから北西へ約250km、電車で約2時間程行くとイングランドらしい田園風景の陶磁器の町ストーク オン トレントに到着します。ストーク オン トレントには、ダンストール、バーズレム、ハンレー(シティーセンター)、ストーク、フェントン、ロングトンの6つの地区があり、「ウェッジウッド」の創業者ジョサイア・ウェッジウッドが生まれたのは、北のバーズレムでした。この地域は土壌が粘土質で痩せており農業に適さなかったため、農家は農業だけでは生活できず、手仕事として陶器を作っていました。
折しも英国は産業革命を迎えており、陶工の家の出であるジョサイアは、地元農民の作陶の延長線上にあった陶芸を近代的工業生産体制に発展させ、さらに陶器を芸術工芸品にまで高めることに成功しました。一代で陶磁器産業に革命的な変化をみたらした彼は、英国陶工の父と呼ばれています。
ジョサイアの生家には父、トーマスが営む小さな陶器工場が併設されていました。しかし父親が亡くなり、6歳で通い始めた小学校も9歳までしか通えず、ジョサイアは長兄が受け継いだ工場で下働きを始めました。彼の不運はそれだけにとどまらず、12歳の時には悪性の天然痘にかかります。それがもとで右足が不自由になり、後に切断する悲劇に見舞われました。足が不自由ではろくろが回せず、陶工としての彼の将来には大きな痛手でした。しかしながら、ジョサイアは満足な教育が受けられなかった不運や体の障害をものともせず、並々ならぬ努力や情熱、持って生まれた勘の良さで自らを成功に導いたのです。
ジョサイアは長兄の下での見習いが終了したのちも、さらに約3年間そこで働き続け、22歳で商人ジョン・ハリスン、トーマス・オルダースとともに「ハリソン&オルダース」を始めました。しかしそこでは彼の望むような仕事は出来ず、24歳でトーマス・ウィールドンの下で働き始めました。彼の下で5年間、工場管理やマーケティングなど実務的な経営を学び、29歳のときに独立。叔父であったジョン・ウェッジウッドから借金をしてバーズレムに工場を借り窯をオープンさせました。これが1759年5月1日のことであり、ウェッジウッド社の始まりでした。
この工場時代に、生涯の友人であり共同経営者となるベントレーと出会います。注文は順調に増え、工房も手狭となり5年ほどで工場を移転。次の工場時代にはシャーロット王妃よりクリームウェアのコーヒー・紅茶セットの注文を受け、「クィーンズウェア(女王の陶器)」の名前を下賜されました。その後、ロンドンにショールームを初めて開くなどさらに事業は拡大し、新しい工場も5年で手狭となりエトルリア工場のオープンに至ります。1940年にウェッジウッド5世が現在のバーラストンに工場を移すまでの約170年間、このエトルリア工場がウェッジウッドの工場でした。
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