ヨーロッパの磁器の歴史は東洋から輸入された神秘的な宝物「白い金」と呼ばれた白磁を探し求めることから始まりました。すべてのヨーロッパの貴族は、これらの磁器を自分のコレクションにしたいと探し求め、彼らの欲望が磁器の秘密を研究する研究所を各所に作らせるようになりました。
王立デンマーク磁器製作所(後のロイヤルコペンハーゲン)は、鉱物学者のフランツ・ハインリッヒ・ミューラーの実験用に創立され、彼は1770年の初めにはすでに石英、カオリン、長石から硬質磁器を作る実験を開始していました。
磁器の製造方法は、マイセンにより1710年に生み出された秘密のレシピであり、マイセンは何年もの間これを門外不出としていたのですが、ミューラーが実験を開始する頃には、すでにヨーロッパ中に広まり、本として出版されるようになっていました。この小さな研究所に時間と財産を費やした彼は1774年、ついに多くの投資家を招き、このデンマーク磁器製作所に寄付を呼びかけました。しかし投資家はほとんど関心を示さず、興味を持ったのはデンマーク王フレデリク5世のユリアーネ・マリー王妃でした。ついに彼女と彼女の息子が製作所の共同経営者になり、1775年の5月1日最初の重役会議でロゴマークが現在も使われている3本の波線に決められました。デンマークを取り巻く3つの水の流れを表すこのマークは、王妃のアイデアでした。
1世紀のあいだ工場は王族により経営され、1868年に個人の手にわたりましたが、その名前は王立をとどめていました。1882年から1884年に工場はアルミニアファイアンス工場という陶磁器製作所と合併して、コペンハーゲンの中心部から、北西にあるフレデリスクボーに移りました。また、このころ工場は一人の若いマネージャーと契約しています。画家であり、建築家でもあったアーノルド・クロー(1856-1931)は、釉薬の下に絵付けをするアンダーグレーズペインティングに非常に興味があり、彼の最初の仕事は最初のシリーズ、ブルーフルーテッドに新しい息吹を吹き込むことでした。彼はアンダーグレーズの新しい技術を工場の技術者とともに研究発展させ、風景や、自然を描くことを可能とし、アンダーグレーズのさまざまな色を開発しました。この新しい磁器は1889年のパリ万博に出品され、数年間で工場は世界的に有名になりました。
デンマークで2番目に作られた磁器工場であるビングオーグレンダール(1853年設立)はロイヤルコペンハーゲンの競争相手でしたが、1987年にロイヤルコペンハーゲンと合併しています。
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