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300年以上に亘る長い歴史の中で、
マイセンは常に世界と交流しながら独創的な作品を作り続けています。
陶磁器工場を作ったのも、基は東洋磁器に対する憧れから。
各国の王侯貴族や、権力者の趣味嗜好によるものから、
世界の流行を反映したものまで、時代の作品をご紹介します。
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原型は1764年、ヨハン・ホアキム・ケンドラーによるものです。
イタリア喜劇はマイセンの初期から良く作られたモチーフでした。
17〜18世紀のドイツにおいて、イタリア喜劇団が人々に人気があり、
マイセンを作ったアウグスト強王や従弟であったアドルフ2世も大変いれあげていました。
そのため、マイセンの造形家たちはこのモチーフを好んでとりあげました。
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原型は1765〜1766年、ヨハン・ホアキム・ケンドラーとピーター・ライニケによるものです。
ルイ15世の愛妾として有名なポンパドール夫人は、陶磁器の熱心なコレクターで彼女の住まいは約400点のマイセン磁器がありました。
この少し不思議な猿のフィギュリンたちは、中でも有名なものです。
アウグスト強王のお抱えの楽士たちの下手な演奏を揶揄したものといわれることもありますが
当時の風刺画に猿を擬人化したものが多いことから1つの流行の表現であったと思われます。
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19世紀中ごろ、エルンスト・アウグスト・レウテリッツによってデザインされたシリーズです。
ロシアの女帝・エカテリーナ2世は、宮殿の部屋を飾るために、40体ものフィギュリンをマイセンにオーダーしました。
中には彼女の愛犬であるロシアングレーハウンドの「リセッタ」も含まれていました。
マイセンの輝く金色の装飾を施したテーブルウェアや、花瓶も人気であり19世紀中ごろには、ロシア貴族の間で大流行しました。
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1602年にオランダに東インド会社が設立されたことにより、東西文化交流の始まりに留まらず、
東の文物そのものが西洋の人々の生活に直接入り込んでいきました。
見知らぬ大陸の風景画から、ヨーロッパの人々は初めてシルクや漆工芸、そして磁器や喫茶の習慣を知るようになり、
この高級品はバロック時代にオリエンタルブームのはしりとなりました。
アジア人の日常を牧歌的に表現した人形や食器ですが、これは現実の描写ではなくヨーロッパの人々が創造した遠い異国の理想的な楽園の世界なのです。
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