インペリアル・ポーセリンの物語と魅力
※画像はイメージです
Imperial Porcelain — since 1744ロシアの名窯、
インペリアル・ポーセリンのすべて
エカテリーナ2世の時代に育まれた、ロシアの名窯。初めての方への入門から、コバルトネットをはじめとする全シリーズ、そして二人の名匠アンナ・ヤツケヴィッチとアレクセイ・ヴォロビエフスキーまで。ロシア磁器の世界を、この一頁にまとめました。
インペリアル・ポーセリンについて
ロシア最古の磁器メーカー、インペリアル・ポーセリン。1744年の創設から280年以上、その手仕事は今も同じ場所で続いています。
インペリアル・ポーセリン(Imperial Porcelain)は、ロシア最古の磁器メーカーです。1744年、ピョートル大帝(Peter the Great)の娘・エリザヴェータ(Elizabeth of Russia)女帝の命によって、サンクトペテルブルク郊外に「インペリアル・ポーセリン工房」として産声を上げました。帝室御用達として宮廷の食卓を彩り、女帝エカテリーナ2世の時代に大きく発展したことから、「インペリアル(帝室)」の名で呼ばれています。日本では古くから親しみを込めて「ロシア食器」とも呼ばれてきました。
魅力はなんといっても、職人がひとつひとつ描き上げるコバルトブルーの絵付けと、それを縁取る22K相当のゴールドの輝きが響き合う佇まいです。手仕事ならではの呼吸が、機械生産では生まれない表情を磁器に与えています。初めての一客にはインペリアル・ポーセリンの代表柄、コバルトネット(Cobalt Net)のカップ&ソーサーがおすすめです。詳しい歴史やシリーズについては、続く章でじっくりとご案内します。
ロシア磁器の三世紀
ベトガーがザクセンで生み出した「白い黄金」がロシアの宮廷へ届き、ピョートル大帝の夢がエリザヴェータに受け継がれてロシア最古の名窯となり、革命を経て現代に至るまで。本LPの読み物の核を、五つの章でたどります。
Ch.1 ベトガーとザクセン磁器の衝撃
ヨーロッパで初めて磁器の焼成に成功したのは、1708年、ドイツ・ザクセンでのことでした。当時、東洋から運ばれる磁器は莫大な価格で取引され、「白い黄金」と呼ばれて諸侯の垂涎の的になっていました。みずから磁器に取り憑かれたザクセン選帝侯フリードリヒ・アウグスト1世は、その秘法をなんとしても自国で再現したいと願います。
命を受けたのが、錬金術師として知られたヨハン・ベトガー(Johann Friedrich Böttger)でした。アウグスト1世は彼を半ば軟禁状態に置き、生死をかけた研究を強います。試行錯誤の末、ベトガーらは白磁の焼成にたどり着きました。これが、後のマイセン磁器の出発点となる「白い黄金」の誕生です。
しかし成功の瞬間に、ベトガーの自由は奪われました。秘法の流出を恐れたアウグスト1世が、彼を厳重な監視下に幽閉してしまったのです。マイセン磁器の輝かしい歴史は、ひとりの錬金術師の不自由と引き換えに始まりました。隣国ロシアの宮廷にとって、この成功はそれだけの代償を払う価値がある、強烈な衝撃でした。
磁器の焼成に成功後、秘密保持のため幽閉される錬金術師ベトガー
Ch.2 ピョートル大帝の夢
ザクセンの成功にもっとも強く反応した君主のひとりが、ロシアのピョートル大帝(ピョートル1世・1672-1725)でした。西欧の先進技術を積極的に取り入れ、ロシアを大国へと押し上げた開明的な皇帝として知られる人物です。「マイセン窯と同等の磁器を、わが国でも作りたい」という願いは、ピョートルにとって国家の威信そのものでした。
17世紀末、スウェーデンとの覇権争いを背景に、ピョートルはアウグスト1世と軍事同盟を結びます。同盟国を訪問するためにドレスデンへ赴いた際、宮廷を埋め尽くす豪華なザクセン磁器を目の当たりにし、ピョートルの磁器への憧れは確信に変わりました。技術者を呼び寄せ、原料となるカオリン鉱山の探索を命じ、1718年から本格的に磁器づくりに着手します。
しかし磁器の焼成は、想像をはるかに超える難事業でした。釉薬の配合、焼成温度、絵付けの再現と、解決すべき課題は山積していました。「彼の存命中(~1725)には芳しい成果を上げることはできませんでした」と伝えられています。ピョートルの夢は道半ばで途絶え、その情熱は娘の代へと受け継がれていきます。
ピョートル大帝/ピョートル1世(1672-1725)
Ch.3 エリザヴェータとヴィノグラードフ
エリザヴェータ(エリザベート)── 1741-1762
父の夢を受け継いだのは、娘のエリザヴェータ(エリザベート)でした。1744年、皇帝専属の磁器工房として「インペリアル・ポーセリン工房」がサンクトペテルブルク郊外に設立されます。これが、現在まで続くロシア最古の磁器窯の始まりです。
鍵となったのが、鉱山技師ドミートリー・ヴィノグラードフ(Dmitry Vinogradov)の存在でした。彼はロシア国内の原料を生かす独自の処方を求めて、緻密な実験を倦むことなく繰り返します。記録に残るその実験は数百回にも及び、ロシアの土と火が組み合わさることで、ようやく自国産の磁器が形を取り始めました。
「マイセン窯やセーブル窯といった外国の名立たる名窯にも引けを取らない高品質のもので、その卓越した技術と美意識は時代の波濤を潜り抜け、現代にまで脈々と受け継がれてきました」。ピョートルの夢は、こうして娘の代でついに結実しました。
マイセン窯やセーブル窯といった外国の名立たる名窯にも引けを取らない高品質のもので、その卓越した技術と美意識は時代の波濤を潜り抜け、現代にまで脈々と受け継がれてきました。
『白い黄金』を生み出した場所 ── ヴィノグラードフの記念銘板
Ch.4 ロマノフ朝の宮廷磁器
開窯当初から、インペリアル・ポーセリンはロマノフ家の宮廷専用磁器として歩み始めます。冬宮殿、エカテリーナ宮殿(ツァールスコエ・セロー)、ペテルゴフ離宮など、すべての宮廷晩餐会の食卓は、この窯が手がけた磁器で整えられました。皇族や貴賓のもてなしに使われ、外交の場でロシアの威信を示す道具でもあったのです。
女帝エカテリーナ2世の時代(1762~)に、インペリアル・ポーセリンは大きく花開きます。「インペリアル(帝室)」の名は、この時代の宮廷を映す呼び方でもあります。後にコバルトネットの原型となる優美なディナーセットも、エカテリーナ2世に献上されたものといわれています。網目の地紋と金彩リボンを組み合わせた構成は、現在の代表柄に脈々と受け継がれています。
宮廷御用達時代の彫塑工房(19世紀末~20世紀初頭)
Ch.5 革命とソ連時代
1917年のロシア革命は、約300年続いたロマノフ朝の終焉と、世界初の社会主義国家の誕生を告げました。帝室御用達としての歩みを続けてきたインペリアル・ポーセリンも、当然ながら大きな変革に見舞われます。工房は国営化され、皇室のための器ではなく、新しい社会の理念を映す作品の制作が求められるようになりました。
1925年、ロシア科学アカデミー創立200周年を記念し、近代ロシア科学の祖と仰がれる科学者ミハイル・ロモノーソフの名にちなんで、工房はロモノーソフ磁器工場(LFZ / Lomonosov Porcelain Factory)に改名されます。帝室の影は消え、社会主義の象徴としての新しいアイデンティティが与えられました。
この時代の磁器は、決して単色の制服のようなものではありませんでした。前衛的な造形と、ロシア各地に残る民俗モチーフが、ひとつのテーブルの上に共存します。「強烈な政治イデオロギーが支配するなかで、雑多な要素が混在しつつ、今までにない新たな芸術の創出をしていこうとする強い衝動が発揮された」と評される、激動の時期でした。後の章で紹介するアンナ・ヤツケヴィッチ(Anna Yatskevich)とアレクセイ・ヴォロビエフスキー(Alexey Vorobyevsky)、二人の名匠が台頭するのも、まさにこのソ連時代の中ばのことです。
1991年のソ連崩壊を経て、日常の茶器・食器の生産が急速に復活します。1993年には民営化が進み、アメリカや日本への輸出も始まりました。海外の人々が一般に手に取れるようになったのは、この時期からです。そして2005年、工房は社名を「インペリアルポーセリン」に復称しました。帝室の時代から280年以上を経た現在、硬質磁器・軟質陶磁器・ボーンチャイナによるティーセットやコーヒーセット、フィギュリン、飾り皿など、およそ4,000種類の作品が継承され、世界の食卓に届けられています。
1913年と現在の工場 ── 280年の継承を物語る一枚
コバルトネットという、原点
コバルトネットは、インペリアル・ポーセリンの代名詞といえる看板柄です。深いコバルトブルーの網目に、22K相当のゴールドで縁取られたリボン装飾。職人のハンドペイントによる線の一筆一筆に、確かな手仕事の気配が宿ります。
コバルトネットは、1949年にペインターのアンナ・ヤツケヴィッチによって発表されました。深みのあるコバルトブルーの優美な網目模様に鮮やかな金彩が映える装飾は、1750年代にヴィノグラードフが女帝エリザヴェータのために制作したセットからインスピレーションを得たものといわれています。発表からおよそ10年後の1958年、ブリュッセル万国博覧会でグランプリを受賞し、ロシア磁器を象徴する一柄として世界に知られるようになりました。








ロシアを描いた、二人のペインター
ソ連時代のインペリアル・ポーセリンに登場した二人の名匠。アンナ・ヤツケヴィッチは看板柄コバルトネットを生み、アレクセイ・ヴォロビエフスキーはロシアの民俗を主題に詩的で幻想的な作風を確立しました。今もなおインペリアルの個性を支える二人を、ここで紹介します。

アンナ・ヤツケヴィッチ ─ コバルトネットを生んだ手
アンナ・ヤツケヴィッチは、レニングラード(現サンクトペテルブルク)の学校で応用美術を修めた女性ペインターです。1932年、当時の国営磁器工房(LFZ)に入って絵付け制作のキャリアを始めました。手描きの正確さと装飾デザインの構成力に長け、まだ若手のうちから工房の重要な仕事を任されるようになります。第二次世界大戦のさなかには、ナチス・ドイツに対する戦勝記念の花入れ装飾を任されたと伝えられており、ペインターとしての能力が国家規模の場面で高く評価されていた証となっています。
1949年に発表した「コバルト・ネット」は、後にインペリアル・ポーセリンを代表するシリーズへと育っていきました。深みのあるコバルトブルーの優美な網目模様に鮮やかな金彩が映える装飾は、1750年代にヴィノグラードフが女帝エリザヴェータのために制作したセットからインスピレーションを得たものと伝えられています。1958年のブリュッセル万国博覧会でグランプリを受賞し、彼女が描き上げた一柄が、世界の食卓に届くようになりました。
手描きの網目と金彩の確かさが、このブランドの魅力を端的に物語っています。
コバルトネット ─ 手描きの網目と22K相当の金彩
アレクセイ・ヴォロビエフスキー ─ ロシアの民俗を磁器に
アレクセイ・ヴォロビエフスキーは、1920年代半ばからインペリアル・ポーセリンでペインターとしてのキャリアを開始した人物です。極めて高い手描き技術を持ち、白磁の上に微細な筆致でロシアの物語世界を描き出しました。彼が早くから取り組み、最も得意としたのが、ロシアの民俗を主題とした絵付けでした。村祭りや結婚の行列、民話に登場する動物たち。日常の暮らしの中で語り継がれてきたモチーフを、磁器の上で再構築していきます。
古くから伝わる民話をもとにしつつ、ヴォロビエフスキーはそれを大胆に組み替え、詩的で幻想的な作風を確立しました。色彩は鮮やかでいながら、どこか夢のような距離感を保ち、見る人の想像をそっと招き寄せます。彼の代表作には、「ナショナルオーナメント」「レッドルースター」「オリエンタルギフト」などのシリーズがあり、今もなお高く評価されつづけています。
※作品の参考画像です。最新の取扱状況はインペリアル・ポーセリン ブランドトップをご覧ください。
ヤツケヴィッチとヴォロビエフスキー、二人の作品はソ連時代に生まれたものでいながら、古くからのロシアの伝統を排除することなく、しなやかにそれを昇華しています。革命の前と後をつなぐ手仕事として、また、政治の言葉では語り尽くせない人々の感性の記録として、二人の磁器は今も価値を持ちつづけています。他の地域の磁器には見られないインペリアル・ポーセリン独特の魅力を発揮しつづける秘密の一端は、このあたりにあるのかもしれません。
アイテムで探す
使いたい場面が決まっている方は、アイテムからどうぞ。お茶の時間にも、日々の食卓にも。
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フィギュリンから、コレクター品のアイテムまで。ご予算からも、インペリアルの世界に入っていただけます。
よくあるご質問
インペリアル・ポーセリンはどこの国の磁器ですか?
ロシア・サンクトペテルブルクで生まれた磁器ブランドです。1744年に女帝エリザヴェータの命によって創設された、現存するロシア最古の磁器窯になります。
「ロシア食器」と呼ばれるのはなぜですか?
ロシアを代表する帝室御用達の磁器という由緒から、日本では古くから親しみを込めて「ロシア食器」と呼ばれてきました。インペリアル・ポーセリンの正式な別称ではなく、愛称のような呼び方になります。
初めての一客におすすめのシリーズはありますか?
看板柄のコバルトネットのプレート、または軽やかなムーンのプレートが、はじめの一客としておすすめです。揃える愉しみを優先される方にはコバルトネット、毎日の食卓に気軽に取り入れたい方にはムーンが向いています。
電子レンジや食洗機は使えますか?
金彩を施した器が多いため、電子レンジのご使用はお避けください。お手入れは手洗いをおすすめします。長くお使いいただくほど、手描きの表情に愛着が増していきます。
コバルトネットを作ったのは誰ですか?
1949年に、ペインターのアンナ・ヤツケヴィッチが発表したシリーズです。1958年のブリュッセル万国博覧会でグランプリを受賞し、ロシア磁器を象徴する一柄として世界に知られるようになりました。
底のマーク(バックスタンプ)で年代はわかりますか?
帝室期・ソ連LFZ期・現代の三つの時代で、社名とともに底面の刻印が変遷しています。手元の一客を年代特定したい場合は、刻印の図像とインペリアル・ポーセリン公式の年表を併せてご確認ください。
コバルトネットの網目文様の由来は何ですか?
1750年代に鉱山技師ヴィノグラードフが、女帝エリザヴェータのために制作したディナーセットからインスピレーションを得たといわれています。1949年にヤツケヴィッチが現代の意匠としてまとめあげました。
LFZとインペリアル・ポーセリンは同じですか?
同じ工場の名称が、時代とともに変遷したものです。1925年に「ロモノーソフ磁器工場(LFZ)」に改名され、2005年に「インペリアルポーセリン」へと復称しました。製造の場所と手仕事の系譜は、創設の1744年から続いています。
廃番のシリーズも入手できますか?
在庫の状況によって異なります。ル・ノーブルが現在お取り扱いしている品は、インペリアル・ポーセリン ブランドトップでご確認いただけます。お探しのシリーズが見つからない場合も、まずはブランドトップからお進みください。
ヴォロビエフスキーとはどんなペインターですか?
1920年代半ばからインペリアル・ポーセリンで活躍した名匠です。ロシアに古くから伝わる民俗を主題に、詩的で幻想的な作風を確立しました。「ナショナルオーナメント」「レッドルースター」「オリエンタルギフト」などの代表作で知られています。

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