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"水の都"と
称される イタリア北東部 ヴェネチアの ムラーノ島で 作られる ガラス工芸品 「ヴェネチアン・ガラス」。
今日まで受け継がれてきた 高い技術力、 そして 繁栄と 衰退を 繰り返しながらも 絶えることなく 培われてきた伝統。
700年以上もの歴史を経て、 いま新しい時代を 踏み出し始めた ヴェネチアン・ガラスを ご紹介します。
ヴェネチアングラス|ムラーノ島の職人が手吹きで仕上げる伝統の逸品
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“はじまり”の吹きガラス
ヴェネチアン・ガラスの
歴史は、 古代ローマ帝国(前1~5世紀)の ローマン・ガラスから 始まると 言われています。
ローマン・ガラスは、ローマ帝国時代 (紀元前27年から紀元後395年)に、 ローマ帝国内で 製造・流通した ガラス製品の 総称です。 そして、 この時代に ガラス工芸史上 もっとも画期的な 技術革命である 「吹きガラス技法」が 発明されました。
それまで、メソポタミアや エジプト、シリアなどでは、 粘土で型をつくり、 溶かしたガラスを 押しつけて成型する 「型押し法」が 主な製造法でしたが、 一点ずつ 型を造って 成型するため 大量生産は できませんでした。 生活用品というよりは とても高価な “装飾品”だったのです。
革命的発明の「吹きガラス技法」は シリアの パレスティナ地方が 発祥の地と 考えられています。 「吹きガラス技法」とは、 鉄パイプの先に 溶かしたガラスを 水飴のように 巻き取り、 息を吹き込んで 風船のように 膨らませて 成型する方法で、 現在もなお 世界中で 受け継がれている 基本的な ガラス製造技法です。
この技法の発明によって、 球形から 円筒状まで さまざまな形や 大きさの ガラス製品が 作られるように なりました。 吹きガラスの 普及に伴い、 1世紀末には 不透明なガラスより 透明なものが 好まれるようになり、 ガラスの持つ 透過性が 美しさにおいても 実用性においても 認められるように なりました。 同時に イタリア半島全域に 多くのガラス工房が 作られました。 -
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ローマ帝国の滅亡と、
ヴェネチアン・ガラスの発展 -
ローマ帝国が
滅亡すると、 ガラス職人たちは 周辺諸国へ 移住し、 それぞれの土地に 根を下ろして、 独特のガラス器を 生み出しました。 特に、 ビザンチンで生まれた ステンドグラスは、 東方の イスラム諸国でも 一大ブームを 巻き起こしました。
その一方、イタリアの ヴェネツィア共和国では、 ヴェネツィアン・ガラスが生まれ、 一世を風靡しました。 13世紀に入ると、 同業組合が 結成されるとともに、 当時、 高度な ガラス技術を誇る 最大の ガラス産地であった シリアの アンティオキアと、 原料や燃料の 輸入契約が 結ばれました。 また、 技術者を 移住させるなど、 政府による 直接的な 統制や 介入も 強化されていきます。
もともと、原材料や 燃料を 自国で 産出できない 土地柄であった ヴェネツィア共和国は、 技術が 原材料の 豊富な 国々へ 流出し、 類似品が 作られることを 恐れていました。 そのため、 1291年には 「ガラス製造業者 および 工人、助手、家族などの すべてを ムラノ島へ 集中的に 移住させ、 島外へ 脱出する者には 死罪を科す」 という 厳しい体制のもとで 管理を行いました。 その結果、 ヴェネツィアン・ガラスは、 ムラノ島を 中心に 発展していく ことになります。 -
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ヴェネツィアン・ガラスは、
13世紀から 14世紀にかけて、 特にエナメル彩色の 技法や デザインなどに、 ビザンチンや イスラムの 影響を 強く受けながら 発展しました。 16世紀後半には、 ダイヤモンドポイント彫り、 レース・グラス、 マーブル・グラスなど、 繊細で 華麗な 新しい技法が 次々と 生み出され、 最盛期を 迎えます。 15世紀から 17世紀にかけては、 ヨーロッパの ガラス市場を 独占するほどの 繁栄を 示し、 ヨーロッパ各地の ガラス工芸に 圧倒的な 影響を 及ぼしました。
また、この時代には、 ソーダガラスに 消色剤を加え、 透明度を さらに高めた 無色透明の ガラス 「クリスタッロ」の製法が 確立されました。 これは他国にはない 技術であり、 王侯貴族の 間で 高値で 取引されました。 当時の人々は、 水晶のように 透明な 新しいガラスを 驚異の目で 迎えました。 その製法は 秘法とされ、 ヴェネツィアン・ガラスは 高級工芸品として、 さらに名声を 高めていく ことになります。
古代ローマで発展した 「吹きガラス」の 技法、 ガラスそのものの 透明性を 追求した クリスタッロ、 精緻を極めた レース・ガラス、 ミッレフィオーリなど、 繊細で優美な ガラス器が、 ヨーロッパ各国の 宮廷や 裕福な市民層を 席巻したのです。
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新しい時代へ踏み出す一歩
14世紀以降、
地中海貿易の独占、 そしてイタリア・ルネサンス 繁栄の 恩恵などで、 一時は ヨーロッパ市場の 90%を 占有するほどに 成長した ヴェネチアの ガラス産業も、 17世紀に入ると イギリスの 鉛クリスタル・グラスの発明、 神聖ローマ帝国の ボヘミアン・グラスの 育成などで 危機に 直面します。
各国は自国産業保護のために 輸入品の 高率関税化を始め、 輸出の 激減により ガラス工場は 倒産するなど、 ムラノ島も その例外では ありませんでした。
1797年にはヴェネチア共和国解体により 政府の ガラス産業庇護の 時代が終焉、 1806年には ムラノ島で 500年続いた 由緒ある ガラス職人組合が 解散を 余儀なくされます。
消滅の危機にあったムラノ島の ガラス産業でしたが、 19世紀になり 新しい時代を 迎えます。 ムラノ島の 名工たちは、 古代作品の 復刻作りに 活路を 見い出し、 他国の ガラス産業には 真似のできない 色ガラスを 基本とした、 ガラス・モザイク技術による 新商品や インテリア製品などの 新しいジャンルを 開拓します。
近代的な生産工場の建設 ・技術者教育機関の設置 ・ガラス博物館の建設 ・展覧会の開催などの 新しい活動が 次々に生まれ、 ヴェネチアン・ガラスは 窮地を脱出し 新しい時代を 踏み出し始めています。 -
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