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マイセン|300年を超えて輝き続ける白い金(ホワイトゴールド)の物語

マイセン 300年の伝統を受け継ぐ白磁のティーセットとフィギュリン

MEISSEN(マイセン)

1710年、エルベ川を見下ろすマイセンの城に、
王立磁器製作所が設けられ、
マイセンの物語が幕を開けました。
以来300年あまり、多くのすぐれた彫刻家や絵付け画家の
努力によって生まれた逸品を受け継ぎ、
今日まで続く美の伝統をご紹介します。

ドラゴン──宮廷生活を映し出す「サービス」の始まり

  • 磁器には時代を映し出す不思議な力が備わっています。18世紀に造られたマイセンのデザインを見ると、王や貴族が楽しんだ華やかな宮廷生活が目に浮かんできます。

    1730年代の半ば過ぎから、揃いの食器セットいわゆる「サービス」が作られ始めました。この「ドラゴン・サービス」(オリジナルは赤)は、ザクセン領主ヴェッティン家の邸宅用でした。

    17世紀に「白い金」と呼ばれた磁器は、富と権力の証として宮殿装飾に欠かせないようになり、東洋の宝物を愛好する君主たちはそれを自慢しあっていました。

  • マイセン ドラゴン・サービス 赤いドラゴン文様のプレートと宮廷食器

スワンレイクと「日本宮」──アウグスト強王の夢

野心家のアウグスト強王は、宮殿を景徳鎮や伊万里の輸入品やマイセン磁器で満たした「日本宮」を建築するという前代未聞の計画を思いつきます。さらにその「日本宮」の目玉として「メナージュリ」という動物園を磁器で再現する計画を立て、造形家として宮廷に招聘されたのがヨハン・ヨアヒム・ケンドラーでした。

貴族が宮殿で行う正餐会には、趣向を凝らした豪華な食卓飾りがつきものでした。元々その飾りには高価な舶来の砂糖が惜しげもなく使われていましたが、ヨーロッパ各地で磁器窯の開窯が相次いだ18世紀以降、磁器製のものが取って代わるようになりました。マイセン人形としても知られる小型の彫刻「フィギュリン」は、そうしたテーブルの装飾の一部であった人物像に起源をもちます。

造形師ケンドラーとフィギュリンの世界

  • ヨハン・ヨアヒム・ケンドラー(1706-1775)は、1760年に扇とオウムを持つ中国人を製造しました。膝に座るオウムと一緒に、完全にリラックスして楽しく笑っている表情が何ともユーモラスな作品です。

    ケンドラーは晩年にいたるまで数限りないモデルを作り上げました。宮廷人にとって一番の娯楽であったイタリア喜劇や、ユーモアと風刺の入り混じった猿の楽団、マイセン近郊の庭で遊ぶ子供たちなど、ケンドラーの手による多彩なフィギュリンは、マイセンの伝統として受け継がれています。

    1753年ごろから、食器への絵付けと並んで板状の磁器の上に絵を描く「プラーク(陶板)」が始まりました。フェルメールなど当時のイギリス、オランダ、フランスの名画をマイセン磁器に模写した作品もつくられ、絵付師の情熱は留まるところを知らず、その可能性は広がっていきました。

  • マイセン フィギュリン ケンドラーによるイタリア喜劇の登場人物の人形

250周年を経て、現代マイセンへ

  • アラビアン・ナイトとグローサー・アウスシュニット

    第2次世界大戦後、東西に分裂した冷戦時代、マイセン磁器製作所は社会主義体制下に組み込まれて再出発しました。終戦後ソ連軍によって運び去られていた歴史的コレクションも返還され、1960年には創立250周年を迎えることが出来ました。

    20世紀を代表するシェイプの「グローサー・アウスシュニット」は、1973年に造形家のルートヴィッヒ・ツェプナーによってデザインされ、20種類を超えるシリーズが生み出されました。

    彫塑家 ペーター・シュトラング

    現代のマイセンにおいて彫刻の分野では、演劇や童話、サーカスの世界に着想を得たシュトラングの世界が個性的です。彼の作品には西洋磁器の成型法としてはわき役に置かれていた手びねりの表現法が使われています。顔や手など主要なパーツを型を使わないで成型する手びねりの人形は、より芸術を求める磁器愛好家やコレクターに人気の作品となっています。

  • マイセン アラビアン・ナイトと現代の彫塑フィギュリン

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