Luxury Selection vol.102
蘇る京の幻「京薩摩」
繊細な金彩と細密画で世界を魅了した京の名陶。
明治期にわずか数十年で姿を消した「京薩摩」を、
現代の名匠が今に蘇らせます。
Luxury Selection vol.102
蘇る京の幻「京薩摩」
繊細な金彩と細密画で世界を魅了した京の名陶。
明治期にわずか数十年で姿を消した「京薩摩」を、
現代の名匠が今に蘇らせます。
薩摩焼は今日で言う鹿児島県、薩摩藩第17代藩主島津義弘が文禄・慶長の役にあたって朝鮮から連れ帰った陶工で始められた焼物で、藩主のお庭焼でもあった薩摩焼では、後年になると金襴手色絵の壱碗を切な焼物が作られるようになりました。
慶応3・1867年、日本が初めて参加したパリ万博で、薩摩焼の作品は単独で参加した薩摩藩から出品され、各国の絶賛を受けました。明治政府として初めて参加した1873年のウィーン万博では、一般に金襴手色絵の薩摩焼が出品されます。当時の作品は飛ぶように売れ、薩摩焼はまだ工業製品力の少なかった当時の日本にとって、生糸や緑茶、水産物と並ぶ日本の輸出商品の花形へと育っていきました。
明治期、京都においても薩摩焼の影響を受けた金襴手色絵の焼物が大量に生産され、「京薩摩」と呼ばれていました。本場薩摩のものに比べて、より細やかで華やかなところが特徴で、千年の都・京都ならではの繊細なセンスが磨きぬかれた京薩摩は、また独特なものとして多くの人々を魅了し、一時期は生産量で本場薩摩をしのぐほどでした。
京の歴史と文化が育んだ意匠と、職人の卓越した手技が結びついた京薩摩は、海外コレクターからも絶賛され、「SATSUMA WARE」の名で広く知られるようになりました。
しかし、その後日本は急速に工業化を推し進め、工芸から工業への人材のシフト、人件費の高騰、意匠のマンネリ化などもあり、京薩摩はわずか数十年で急激に衰退していったのです。
一度は廃れた京薩摩を現代に蘇らせたのが、陶芸家 林多幸斎氏による作品です。林氏が作る京薩摩の作品は、まさに「白磁にいる細微、一見して人の手で施された絵とは思えないような、機械か何かに描かれてしまうような、心揺さぶられてしまうような作品」です。
林氏の作品は、地元の絵付け職人ですら描けないであろうと思われるような、非常に高度な技術で施された絵付け、洗練されたデザイン、緻密に計算されたような器のフォルムなど、作品として最高峰レベルとなっており、近年ではその希少性から世界各地でコレクター垂涎の品となっています。
京の都、東山との境の谷の中に生まれ、地域の伝統工芸である陶芸の世界に足を踏み入れる。当初の取扱関係者に絵付けされたものに必ずしも仕上がっておらず、悲しい姿に他ならず、自分はもっと丁寧な、より精度を頼り、絵付けが楽しくなるような土台を作って、職人の先生に師事して教えてもらう。
絵付けの仕事を始めて2年後、京都伝統工芸学院に入学し絵付けの職人になる。卒業した後で受け取りの仕事を専門に行い絵付けを続けた。同期の友人の勧めで、12年前から京都伝統工芸専門学校の絵付け講師となり、後進の育成を進める。
7年前『花絵付展』と『京薩摩展』に出展。学校で教えながら独学で『花絵付展』『京薩摩展』に出展し、3年前に大賞を受賞して今に至る。
※以上、林多幸斎Official Web Siteより
林多幸斎の作品は、肉眼では筆運びすら追いきれないほどの細やかな筆致で描かれた、別次元の絵付けの世界。それにきらめく繊細な色彩と精緻にきわめた描画の華やかさが意匠化されます。
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