№ 01
ガダルキヴィール ティーカップ&ソーサー 160ml
紅茶の時間に映える、ガダルキヴィールの代表的なカップ&ソーサー。赤の鉄柵模様が、白磁の余白の中で軽やかなリズムを刻みます。
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An Editorial · 170 Years of Hermès
1837年、パリの馬具工房から始まった物語。
1837年、ティエリ・エルメスはパリで馬具工房を開きました。それから170年。馬車から自動車へ、革小物からスカーフ・香水へ、そして1984年のテーブルウェアへ。エルメスは時代ごとに主力を移し替えながら、「クオリティ」「希少性」「イメージ」の三つを守り抜きました。本特集はその経営史を四章で辿り、ガダルキヴィール、シュヴァルドリアン、モザイク ヴァンキャトルという三つのテーブルウェアシリーズへと結びます。
※ 本特集は2007年に編成された企画を再構成したものです。2026年現在、エルメスは創業189年を迎えています。
Prologue
── 1837年、ティエリ・エルメスとパリの馬車文化 ──
19世紀前半のパリは、馬車が貴族と新興ブルジョワジーのステータスシンボルだった時代です。1837年、ドイツ・クレーフェルト出身のティエリ・エルメス(1801-1878)は、パリのバス・デュ・ランパール通りに馬具工房を構えました。当初の顧客は王侯貴族と富裕層。彼らは自家用馬車を意匠と性能の両面で他者と差別化することに、惜しみなく資産を投じました。
のちにエルメスが世界的に獲得することになる三つのブランド価値 ──「クオリティ」「希少性」「イメージ」── の原点は、すでにこの馬具工房に存在しています。革と糸の選別、手縫いの精緻さ、上得意客との直接のやり取り、そして自家用馬車という限られた市場。本特集は1837年のこの工房から、1984年のテーブルウェア発表までを四つの章で辿り、エルメスがなぜ「最高級ブランド」であり続けたのか、その経営史の骨格を読み解きます。
Chapter 01 · 1837 ― Origin
── 1837年創業からフォーブル・サントノーレ24番地へ ──
ティエリ・エルメスは1801年、現在のドイツ・北ライン=ヴェストファーレン州クレーフェルトに生まれました。一家は宗教戦争を逃れてフランスに渡り、ティエリはやがてパリの馬具職人として独立します。1837年、彼が開いた工房は馬具の中でも最上級の鞍と馬勒(ばろく)を主力とし、機能性とクオリティの両立で評判を得ました。馬具は走行中に外れれば乗り手の命に関わる道具です。縫い目の一目一目が、そのまま顧客の信頼に直結する商売でした。
創業者ティエリの仕事を受け継いだのが、息子のシャルル・エミール・エルメス(1831-1916)です。19世紀半ばのパリは、ナポレオン三世の都市改造(オスマン男爵による大改造、1853-1870年)によって大きく姿を変えていました。古い小路は取り壊され、シャンゼリゼやオペラ大通りといった広い街路が整備されます。シャルル・エミールはこの変化を機に、工房を一八八〇年(1880年)にフォーブル・サントノーレ通り24番地へ移転しました。シャンゼリゼ大通りの裏手にあたるこの場所は、当時すでにパリ随一の高級ショッピング街となりつつあり、エルメスはここで「鞍屋」としての小売販売を本格化させます。住所そのものが、エルメスのアイデンティティになっていく出発点でした。
この時期のエルメスが守った原則は、二つあります。第一に、商品の最終的な仕上げを社内の職人が行うこと。第二に、上得意客との関係を当主自らが管理すること。馬具という極めて専門的な商品では、顧客一人ひとりの体格・乗り方・馬の癖に合わせた微調整が欠かせません。この「顧客に応じて作り変える」習慣が、後にバッグやスカーフでも継承される個別注文文化(コマンド・スペシャル)の原型となりました。
Chapter 02 · 1892-1936 ― Strategy
── 1892年オータクロアから1936年スカーフ発表まで ──
19世紀末、自動車が発明されました。1885年にダイムラーとベンツがそれぞれガソリンエンジン搭載車を実用化し、1908年にはフォードがT型を大量生産します。馬車は急速に交通手段の主役から退き、馬具工房という業態そのものが構造的な縮小を強いられました。この危機の中で、ブランドの方向を大きく転換したのが、三代目のエミール・モーリス・エルメス(1871-1951)です。
エミール・モーリスは、馬具で培った革製品の技術と上得意客との関係を、新しい商品群に展開していきました。最初の重要な一歩が、1892年に発表されたバッグ「オータクロア(Haut à Courroies)」です。「丈の高い革紐」の意で、もともとは騎手が鞍と長靴を入れて運ぶための実用品でした。これがのちに、形を整え、革質を吟味され、富裕層の旅行鞄として再解釈されます。1950年代にはモナコ王妃グレース・ケリーが愛用したとされる小型版が「ケリーバッグ」と呼ばれるようになり、オータクロアはエルメス・バッグの源流として位置づけられました。
転換の本質は、商品ラインの拡張だけではありません。1929年の世界恐慌は、多くの高級品ブランドにとって致命的な打撃でした。エルメスはこの時期に、「最高峰の革を使い、最高の職人が縫い、最上得意客に届ける」というクオリティの絶対水準を維持しながら、革手帳・名刺入れ・小型バッグといった「比較的買いやすい高級品」の品揃えを充実させていきます。1930年に革製手帳、1936年に香水とスカーフを発表。経営史の文脈では、これが今日言われるところの「アクセシブル・ラグジュアリー(買える高級品)」の発明にあたります。富裕層だけでなく、その下の階層も「いつかは買える憧れ」として接続することで、ブランドの裾野は確実に広がりました。それでもクオリティの上限は譲らない。後に各メゾンが採用する高級ブランドの基本戦略は、エルメスがこの時期に確立したと言ってよいでしょう。
Chapter 03 · 1950-1960s ― Rarity
── 1950年代カラーメディアと1960年代ライセンス非実施 ──
1950年代、メディアは大きく姿を変えました。カラー写真誌の普及、テレビ放送の本格化、ハリウッド映画の国際展開。視覚情報が国境を越えて瞬時に伝わる時代が始まります。この時代のエルメスを率いたのが、四代目ロベール・デュマ(1898-1978)でした。デュマは三代目エミール・モーリスの娘婿として経営に加わり、戦後の復興期からブランドの国際的認知を一段引き上げた人物として知られます。
転機の一つが、モナコ王妃グレース・ケリーです。1956年、女優からモナコ大公妃となった彼女が、写真を撮られる際に妊娠した腹部をエルメスのバッグで隠したという有名なエピソードがあります。その写真が雑誌「ライフ」をはじめとする世界のグラフ誌に掲載されると、当該バッグは一夜にして注目を浴び、後に正式に「ケリーバッグ」と命名されました。同じ頃、スカーフ「カレ」もハリウッド女優や王室メンバーの愛用品として、繰り返しメディアに登場します。エルメスは積極的な広告投下によらず、要人の日常使用が雑誌・テレビを通じて広く伝播するという、当時としては新しい認知獲得の経路を手にしました。
国際的人気の急上昇は、多くのブランドにとって「ライセンス供与による拡張」の誘惑を生みます。1960年代は実際、欧米の主要ファッションブランドが製造ライセンスを各国メーカーに供与し、ロゴ付き商品を世界に流通させた時代でした。しかしエルメスは、この潮流に加わりませんでした。革製品もスカーフも香水も、開発・生産・販売を本社が一元的に管理し、ロゴ使用権を外部に許諾しない方針を貫きます。さらに広告メディア露出を絞り込み、人気が集中した商品については恒常的な供給を行わず、店舗での予約も一律には受け付けないという、流通そのものを設計する姿勢を取りました。結果として、「店頭に行っても手に入らないことがある」状態を意図的に維持することになります。これがブランドの希少価値を担保し、需要を冷ましてしまわない設計として機能してきました。本章で見たのは、製造能力で需要に追いつくのではなく、流通を管理して需要との適切な距離を保つという、エルメス独特の戦略の核心です。
Chapter 04 · 1984 ― Tableware
── 1984年、エルメス食器の誕生と三つのシリーズ ──
1984年、エルメスはテーブルウェアを発表します。バッグ・スカーフ・香水で確立した「アクセシブル・ラグジュアリー」と「希少価値の管理」を、磁器という新しいカテゴリに持ち込む挑戦でした。注目すべきは、磁器のデザインを担当したのが新設の食器部門ではなく、長年にわたってカレ(スカーフ)のデザインを手がけてきたチームだったという点です。スカーフは小さな正方形の中に動物・植物・幾何文・寓意モチーフを大胆に構成する、エルメス美学の象徴的なフォーマットでした。その意匠言語をプレートやカップ&ソーサーへ移植することで、エルメスのテーブルウェアは「磁器メーカーがデザインした食器」ではなく、「エルメスがデザインした食器」という独自の輪郭を獲得しました。
本特集で取り上げるのは、その後のエルメス食器を代表する三シリーズです。第一に「ガダルキヴィール」。スペイン・アンダルシア地方を流れるグアダルキビール川にちなみ、白磁の縁を赤の鉄柵模様で縁取った華やかなシリーズです。鉄柵はアンダルシアの住宅バルコニーを象徴する意匠で、地中海の陽光と影を磁器の上に呼び込みます。第二に「シュヴァルドリアン」。フランス語で「オリエントの馬」を意味し、東洋的な織り模様を多色幾何学装飾としてプレートに展開しました。エルメスの原点である「馬」のテーマを、東洋美術への敬意とともに再解釈したシリーズです。第三に「モザイク ヴァンキャトル」。本店フォーブル・サントノーレ24番地のサロン床に敷き詰められたモザイクタイルを意匠化し、金彩で表現しました。中央には、エルメスの象徴である「馬と馬具を運ぶ男(デュック・アトレ)」のロゴが配されます。1837年の馬具工房から始まった物語は、テーブルウェアという最も身近な日常品の中で、改めて「住所」と「象徴」へと回収されていきました。
Series 01 · Balcon du Guadalquivir
白磁の縁に赤の鉄柵模様を巡らせた、地中海の華やぎ。
Series 02 · Cheval d'Orient
東洋の織物に着想を得た、多色幾何学のシリーズ。
№ 03
東洋的な織り模様を多色で展開した21cmのデザートプレート。エルメスの原点「馬」のテーマを、シルクロードの幾何学装飾として再解釈した一枚です。
商品ページへSeries 03 · Mosaïque au 24
フォーブル・サントノーレ24番地のサロン床を、金彩で。
1984年にテーブルウェアを発表したのが始まりです。磁器のデザインは、それまでカレ(スカーフ)のデザインを担ってきた本社のスカーフチームが手がけました。開発・生産・販売を本社が一元管理する方針は、テーブルウェアでも他カテゴリ同様に保たれています。
スペイン・アンダルシア地方を流れるグアダルキビール川にちなんだ名称で、白磁の縁に赤の鉄柵模様を巡らせた華やかなシリーズです。鉄柵はアンダルシアの住宅バルコニーを象徴する意匠で、地中海の昼下がりを切り取ったような明るさを食卓にもたらします。
フランス語で「オリエントの馬」の意。エルメスの原点である「馬」のテーマを、東洋の織物文様として再解釈したシリーズです。多色の幾何学装飾がプレート全面に展開され、シルクロードを越えて伝わった東洋美術への敬意が込められています。
エルメス本店所在地、パリ・フォーブル・サントノーレ通り「24番地」を指します。本店サロンの床に敷き詰められたモザイクタイルを意匠化したシリーズで、中央にはエルメスの象徴「デュック・アトレ(馬と馬具を運ぶ男)」のロゴが配されます。
金彩・プラチナ彩を施した商品は手洗いをおすすめします。本特集で紹介するモザイク ヴァンキャトル(金彩・プラチナ彩)は手洗い推奨です。ガダルキヴィール、シュヴァルドリアンを含めて、各商品ページの仕様欄をご確認ください。
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