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フィンランドデザインの歴史|カイ・フランクとアアルト夫妻が築いた北欧モダンの系譜

カイ・フランクのティーマ・カルティオをはじめとするフィンランドデザインの食器群
デザインヒストリー

フィンランドデザインの歴史 ― カイ・フランクとアアルト夫妻が築いた北欧モダンの系譜 ―

カイ・フランク、タピオ・ヴィルカラ、アルヴァ・アアルト──
「日常生活のための美」を追求し続けたフィンランドデザインの巨匠たち。
国家のナショナリズムとともに育まれた北欧の美意識の歴史を紐解きます。

― Design History · ル・ノーブル編集部

まず、フィンランドデザインとは

― いつ、なぜ生まれたのか ―

フィンランドデザインとは

Finnish Design

フィンランドデザインとは、「ごく一般的な家庭で毎日使うものにこそ、機能性だけでなく美しさが必要だ」という考えを土台にした、フィンランドのものづくりの思想です。その背景には、19世紀にロシア帝国の支配下で「北欧的であり続ける」という選択をした国家のナショナリズムがありました。1937年のパリ万博で建築家アルヴァ・アアルト(Alvar Aalto)が世界的評価を受けたことを転機に自国意識が芽生え、1950年代に黄金期を迎えます。この特集では、その歴史と、時代を築いたデザイナーたちの功績をたどります。

北欧の地図
1809

ナショナリズムが育んだ「北欧」という選択

現在のフィンランドの土地は、歴史的には19世紀初めまでスウェーデンの一地方でした。1809年、ナポレオン戦争の最中にスウェーデンがロシアに敗北すると、ロシア皇帝アレクサンドル1世はフィンランド大公国を建設し、自らがフィンランド大公を兼任することになりました。ロシア帝国内の中でありましたが、この時はじめてフィンランドは「国家」になります。

その時、この地において支配者側にあったスウェーデン語住民の中から、独特なナショナリズムが生まれてきました。それは、将来起こるロシア化に対抗するには、エリートと一般大衆の乖離を避ける必要があり、その為に言語をエリート側のスウェーデン語から大衆側のフィンランド語に代えていくべきだというものでした。

ロシア化されずに「北欧的」であり続けるという選択が、「自分自身」であり続けるという認識の上にたって、フィンランドでは積極的に「北欧」が選択されました。その後、19世紀末から1917年の独立までの、自治を侵害するロシアからの抑圧が激しくなった時代に、さらにフィンランドとしてのナショナリズムが鍛えられました。第2次世界大戦において2度にわたってソ連との戦いを余儀なくされ敗戦はしたものの、占領は免れフィンランドは民族および国家としての独立を守り通しました。

1937

アルヴァ・アアルトと始まった「フィンランドのガラス」
― 1937年パリ万博という転機 ―

フィンランドにおけるガラスの歴史は他国に比べると遅く、始まりはスウェーデン領時代の1748年に遡ります。フィンランドでは主に薬やお酒を入れるガラス瓶を作っていましたが、19世紀初頭にロシアに併合されると多くの市場を失い、生産が活発になるのは独立を遂げる1917年を過ぎてからでした。

1937年のパリ万博ですでに建築家として有名になっていたアルヴァ・アアルトは、自身の設計したパヴィリオンにベース「アアルト」を展示し、世界的に高い評価を受けます。これをきっかけにフィンランドでは、「もはや私たちのガラスは、スウェーデンのガラスではない」という自国意識が芽生え始めました。50年代、フィンランドガラスは一つのブランドとして国際的に認知されるまでになっていきます。

1950s

黄金期を築いた「正式教育を受けていない」巨匠たち

50年代はフィンランドのガラスにとって黄金期にあります。ごく一般的な家庭で毎日使うものにこそ、機能性だけでなく美しさが必要だという考えも浸透し始めます。さまざまなデザインが生まれ、国際的なコンペでフィンランドの作品が多数入賞しました。

この時期を代表するデザイナーには、カイ・フランク、ティモ・サルパネヴァ、タピオ・ヴィルカラらがいますが、面白いのはこの人たちが皆ガラスデザインの正式な教育を受けていないことです。カイ・フランクは家具デザイナー、タピオ・ヴィルカラは彫刻家、ティモ・サルパネヴァはグラフィックデザイナーでした。

ガラスデザインの教育を受けた者が、デザイナーとして台頭するには60年代まで待たなければなりません。カイ・フランクが自ら教鞭をとっていた美術大学で、陶芸科の学生たちにガラス実習を受けさせるようになって以降で、初期の学生にはオイヴァ・トイッカ、ヘイッキ・オルヴォラなどの後にイッタラで活躍するデザイナーたちがいます。

カイ・フランクとは

― Kaj Franck / 1911-1989 ―

カイ・フランク(Kaj Franck、1911-1989)とは、「日常生活のための美」を掲げ、戦後フィンランドの食器のかたちを決定づけたデザイナーです。もともとは家具デザイナーであり、ガラスデザインの正式な教育は受けていませんでした。

戦後の市民生活の混乱から福祉国家を目指していく過程において「ディナーセットを粉砕せよ」というスローガンのもと、
自由な組み合わせにより食卓での用途を網羅するシリーズ食器として「ティーマ」(発表当時のシリーズ名はキルタ)を作りました。
食べる・飲むだけでなく調理や保存、片づけにおいても使い勝手を重視したシリーズで、その形をガラスで引き継いだ「カルティオ」とともにフィンランドの食器棚の定番となっています。

イッタラ ティーマ テーブルウェア
「ティーマ」シリーズのテーブルウェア。
カイ・フランクの「必要な装飾は色だけ」というデザイン哲学が普遍的な美しさもたらしました。

のちに美術大学で教鞭をとり、陶芸科の学生にガラス実習を受けさせる仕組みを整えたことで、次世代のデザイナーを育てた人物でもあります。

イッタラ ティーマ 一覧はこちら

アイノ・アアルトとは

― Aino Aalto / 1894-1949 ―

アイノ・アアルト(Aino Aalto、1894-1949)とは、建築家・デザイナーとして活動し、フィンランドを代表するガラスの造形を生み出した人物です。

建築家アルヴァ・アアルトの妻であり、自らも建築家、デザイナー。
1932年に"Bolgeblick"(スウェーデン語で「波紋」の意)を発表。ミラノ・トリエンナーレで金賞を受賞しました。
後に"Bolgeblick"はイッタラを代表するシリーズ、「アイノ・アアルト」の基となりました。

イッタラ アイノ・アアルト タンブラー
「アイノ・アアルト」のタンブラー。
同心円状の凹凸で濡れた手でも滑りにくくデザインされているのが特徴です。

二人はともに建築を学んだ専門家どうしであり、アイノは家庭内の協力者ではなく、共同で設計に取り組むパートナーでした。水面に石を落としたときに広がる波紋を写したその造形は、装飾であると同時に、濡れた手でも滑りにくいという機能を備え、かつプレス成形という量産に適した形でもありました。美しさと、機能と、誰もが買える価格──この三つを一つの形の中で両立させたことが、この造形が90年以上つくられ続けている理由です。

イッタラ アイノ・アアルト 一覧はこちら

タピオ・ヴィルカラとは

― Tapio Wirkkala / 1915-1985 ―

タピオ・ヴィルカラ(Tapio Wirkkala、1915-1985)とは、フィンランドを代表するデザイナーのひとりです。本来は彫刻家であり、カイ・フランクと同じくガラスの正式な教育は受けていませんでした。

ガラスだけでなく木工家具やお札・シャンプーの容器に至るまで、フィンランド・デザイン界でも多才な才能の持ち主として世界的に名を馳せたデザイナー。
『極北の地』を意味する氷のようなグラス"Ultima Thule"(ウルティマツーレ)・台座のバブルが特徴の"Tapio"(タピオ)など、数々の名作を生み出しました。

イッタラ ウルティマツーレ タンブラー
「ウルティマツーレ」のタンブラー。
透き通る氷の様なデザインは、彼がデザインしたウォッカ「フィンランディア」のボトルとも通ずるものがあります。

彫刻の出自は、彼の仕事の性格をそのまま説明します。ヴィルカラにとってガラスは平らな絵を描く面ではなく、光を含んだ塊として彫るべき素材でした。

イッタラ ウルティマツーレ 一覧はこちら

巨匠たちが遺したもの、そして現代へ

― 受け継がれる「日常生活のための美」 ―

カイ・フランクが美術大学で陶芸科の学生にガラス実習を受けさせるようになって以降、初期の学生からはオイヴァ・トイッカ(Oiva Toikka、1931-2019)ヘイッキ・オルヴォラ(Heikki Orvola、1943-)といったデザイナーが育ちました。とりわけオイヴァ・トイッカは、フランクの機能主義を受け継ぎながらも、鳥のオブジェに代表される遊び心と色彩をフィンランドデザインに持ち込んだ人物として知られます。オイヴァ・トイッカの特集では、その仕事をより詳しくご紹介しています。

50年代の黄金期に確立された「日常生活のための美」という思想は、いまも変わらず受け継がれています。ティーマもカルティオも、アイノ・アアルトもウルティマツーレも、発表から半世紀以上を経てなお現行品として作られ続けている──それこそが、流行ではなく普遍を目指したこの国のデザインの証明です。

よくあるご質問

― フィンランドデザインについて、よくある疑問 ―

フィンランドデザインはなぜシンプルなのですか?

「ごく一般的な家庭で毎日使うものにこそ、機能性だけでなく美しさが必要だ」という考えが土台にあるためです。戦後の市民生活の混乱から福祉国家を目指す過程で、装飾を競うのではなく、誰もが手に取れる価格で永く使える形が求められました。カイ・フランクの「必要な装飾は色だけ」という言葉が、その思想を端的に表しています。

カイ・フランクはどんなデザイナーですか?

カイ・フランク(Kaj Franck、1911-1989)は、「ディナーセットを粉砕せよ」というスローガンのもと、自由な組み合わせで使える食器のあり方を提唱したフィンランドのデザイナーです。「ティーマ」(発表当時の名称はキルタ)と、その形をガラスで引き継いだ「カルティオ」を手がけました。もともとは家具デザイナーで、ガラスデザインの正式な教育は受けていません。のちに美術大学で教鞭をとり、次世代のデザイナーを育てました。

アイノ・アアルトとアルヴァ・アアルトの関係は?

アイノ・アアルト(1894-1949)は、建築家アルヴァ・アアルト(1898-1976)の妻であり、自らも建築家・デザイナーでした。二人はともに建築を学んだ専門家どうしで、共同で設計に取り組むパートナーでした。アイノは1932年に「Bolgeblick」を発表しミラノ・トリエンナーレで金賞を受賞、アルヴァは1937年のパリ万博で自身の設計したパヴィリオンにベース「アアルト」を展示し世界的評価を得ています。

北欧デザインの黄金期はいつですか?

1950年代です。フィンランドでは、1937年のパリ万博でアルヴァ・アアルトが国際的評価を受けたことを転機に自国意識が芽生え、50年代には国際的なコンペで多数の作品が入賞しました。カイ・フランク、ティモ・サルパネヴァ、タピオ・ヴィルカラらが活躍したこの時代が、黄金期と呼ばれます。

タピオ・ヴィルカラの代表作は何ですか?

『極北の地』を意味する氷のようなグラス「ウルティマツーレ(Ultima Thule)」と、台座のバブルが特徴の「タピオ(Tapio)」が代表作として知られます。タピオ・ヴィルカラ(1915-1985)は本来は彫刻家で、ガラスのほか木工家具やお札、シャンプーの容器まで手がけました。ウォッカ「フィンランディア」のボトルも彼のデザインです。

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