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逸品 第12回 景徳鎮 一千年の歴史、その原点に触れる 前編

逸品 景徳鎮
景徳鎮 青花如意開光蓮紋壷春瓶
景徳鎮 青花鴛鴦蓮紋菱口盤
景徳鎮 青花如意海水雲龍紋梅瓶
景徳鎮 青花龍蓋花紋梅瓶
景徳鎮 斗彩折枝花紋梅瓶
景徳鎮 青花喜鵲梅花紋扁瓶
陶磁器の原点を求めて

陶磁器の母なる都、「景徳鎮」での磁器製作は、官窯(かんよう)が1000年前に開窯してから発展しました。景徳鎮は今日の「世界の陶磁器のふるさと」です。かつて、「景徳鎮」の磁器は、東は韓国を経て日本へ、西はシルクロードや海路を通じてヨーロッパへと広がっていきました・・・。

私たち、ル・ノーブルが取り扱っているヨーロッパを中心とした洋食器は、もともとは全て中国、日本からの輸入品でした。

17世紀のヨーロッパ諸侯は競って東西の美術品を競って蒐集しましたが、中でもドイツのザクセン候アウグスト王は自国で製作するために、錬金術士ベットガーに命じて白い磁器を作らせましたが、1709年にベットガーが白磁の製作に成功したことから、マイセンの歴史が始まりました。
このマイセンをはじめとした洋食器は、皇帝や貴族の献上物としてヨーロッパ各国で独自の文化と共に発展し、民衆の日常品として広まっていき、気品あるデザイン、煌びやかな色使い、完成された形状は21世紀の今では、日本人である私たちの日常にも溶け込んでいるほどです。

今回私たちはこの陶磁器の原点を求めて、中国江西省にある景徳鎮を訪問してきました

9年前に当社の一人が行ったときは景徳鎮が復興し始めた時で、日常品の食器量産が主に注目を集めていましたが、まだまだ雑貨品のレベルでした。
昨年11月の景徳鎮1000年祭にいって大きく変貌していることを目にして、何とかこの世界に通用する景徳鎮を輸入したいと思い、今年1月25日再訪しました。

経済開放政策は大きく、磁器生産業界にも影響を与え、芸術性の高い作家物が増えてきています。
海外華僑の経済力の影響が大きく、1億円以上で売られている陶磁器も市場に出ています。 景徳鎮市内の市場では芸術品から日用品まで、それぞれ専門小売店によって運営されています。

当社では景徳鎮市の紹介で知り合った会社のみを選び、取引する事を決定しました。 現在、景徳鎮に磁器製造業は2000社以上あり、人口約50万人のうち約10万人が磁器関連の仕事に従事していると言われています。
私たちは、景徳鎮を代表する作家、黄さんの下を訪れ、素晴らしい作品と出会いました。これらを皆様へご紹介するために、黄さんの手によって忠実に復刻された元・明・清、それぞれの時代を代表する「陶磁器の原点」の作品を買い付けして参りました。

今回ご紹介できるのは、景徳鎮千年の歴史のほんの一端ではございますが、皆様に少しでも知っていただき、手にした実感をお喜びいただけましたら幸いです・・・。

歴史

「景徳鎮」はかつて「昌南鎮」と呼ばれていました。
磁器の原料である純白の粘土「カオリン」と燃料用の薪(松材)に恵まれた自然環境を背景に、 漢の時代から磁器作りの町として始まり、磁器の都「磁都」として栄えてきました。
その透き通るような白磁は、歴代の皇帝を魅了しました。北宋の景徳年間の皇帝「真宗」がこの磁器を大変気に入り、磁器の底に「景徳年製」 と記すことを命じ、これを機に「景徳鎮」と呼ばれるようになったのです。

こうして始まった「景徳鎮」の歴史は2004年で千年を迎えました。

窯

景徳鎮には官窯(かんよう)と民窯(みんよう)とが存在しました。
元・明・清代を通して宮廷ご用達の窯・官窯がおかれ、皇帝や皇宮専用の磁器として数多く作られました。一般市場向けには民窯(昔の技術や伝統を受け継ぎ一般民衆の使う雑器を焼いている窯)があり、中国国内だけでなく世界各国へも輸出されていました。

需要が増し生産が追いつかなくなったことで、官民合同方式が励行されるようになりました。
これにより、優秀な磁器原材料と工芸技術が民窯に流れる結果をもたらし、民窯は大きく発展していきました。そして、明代・清代では中国の製陶業に繁栄をもたらし、景徳鎮の磁器は中国陶磁器の世界における地位を確立していったのです。

芸術、美術が低迷する時代の激動期、例えば各時代の末期、景徳鎮も大きく影響を受けました。
第二次世界大戦後も国民党対共産党、そして中華人民共和国成立後は、生活用品としての陶磁器に重点がおかれ、以前のような芸術性の高い陶磁器は衰退しました。とくに1966年に始まった文化大革命では、徐々に復興してきた文化・芸術の関係者を農村に追放し、景徳鎮でも多くの技術者でさえ、再教育のため農村に追放されました。その結果、完全に文化・芸術復興の芽は取られました。

1978年の開放経済体制に移行後は、市場メカニズムの導入による急速に拡大発展した経済の影響を受け、生産要素の流動化によって現在の窯の姿となったのは、必然的な帰結であると言えます。

絵付け

景徳鎮の絵付けの代表に「青花」があります。

青花とは、白磁の素地にコバルトを含んだ顔料で文様を描き、透明釉をかけて焼成する技法で、日本では染付とも呼ばれています。

青花の技術と様式は、元代後期に完成されました。また、「粉彩」と呼ばれる技法は、ヨーロッパの無線七宝の技術を導入して、清代の康煕末年に新たに開発された上絵付けの技法です。
色数が飛躍的に増加し、濃淡のぼかしを生かした細密な描写が可能になったとされています。

優れた磁器であるために・・・

景徳鎮と日本の有田・伊万里に代表される、優れた磁器が生産される背景には共通点があるように思います。

まず、磁器を作る良質の土が近くにあること。
次に燃料である薪が豊富なこと。
そして、水上運搬が使えたこと。原料、 薪、製品運搬に欠かせなく、外洋につながる港がある。
また、権力(日本では藩)の保護の下、窯が存在したこと。
さらに「官」で高められた技術が「民」で発展、拡大していったこと。などが挙げられます。

英語で中国はChina。総称として陶磁器のことも英語でchina wareと呼ぶのは、陶磁器の発祥がまさしく景徳鎮=中国であるからなのです。

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