| ■ボヘミアングラスといえば「モーゼル」
ボヘミアングラスでまず名前があがるのは、「モーゼル」でしょう。
ルドヴィック・モーゼルによって1857年に設立されたモーゼルガラス工場は400人ほどの従業員と、たった20人ほどの選りすぐりのエングレーヴァーが、この手作りの芸術品を支えています。
■ボヘミアンガラスの始まり
ボヘミアのガラスの歴史は、5、6世紀頃、スラヴ人によって築かれたモラヴィア帝国の遺物である、ガラスのビーズや指輪から始まります。
この帝国はハンガリー人の侵入によりわずか100年で滅亡しますが、この文化は9世紀以降のボヘミア王国に受け継がれました。
■13〜15世紀−ガラス器の発達
13世紀中部ヨーロッパにおいて、さらに発展したボヘミア王国では、装身具類に限らず丸窓ガラスや、ゴシック大聖堂のステンドグラスも作られるようになりました。
14世紀後半、カール4世(カレル1世)の時代には、壮麗な建築物とそれを飾るステンドグラスの最盛期を迎えましたが、度重なる戦争でそのほとんどは現存していません。
ほぼこれと同時期に、ガラスの器も発達するようになり、14世紀後半から15世紀には、吹きガラスによる様々なガラス器が制作されるようになりました。
■16〜18世紀−技術の発達と貿易の成功
16世紀、ハプスブルク家の統治下に入り、イタリア・ルネサンスの波及とともに、ヴェネチアガラスの製法が、職人とともにボヘミアにもたらされました。
貴族のてこ入れのもと、エナメル彩で装飾されたヴェネチア様式のガラス器が数多く作られたのです。しかし、自在な成形に適しているヴェネチアのソーダ・グラスに比べ、砂とカリウムでできたボヘミアングラスは、質の面でも、柔軟性においてもこれに及ばないものでした。
16世紀ルドルフ2世の時代に入り、ボヘミアングラスの別の特性が生かされることになったのです。ルドルフ2世は熱心な美術品蒐集家でしたが、とりわけ宝石類を愛好したせいもあり、プラハは16世紀末に宝石彫刻の中心地の1つとなりました。この結果、グラス・エングレーヴィングに適した、水晶に似た非常に純粋で硬い透明ガラスが生まれたのです。
この技術は三十年戦争の間も途絶えることなく、ついに主要輸出品に至るまでになりました。
18世紀に入り、ガラス製品の貿易は大成功を収め、広く国外へ輸出されるばかりか、ヨーロッパ全土はもちろん、アメリカやアジアにも工場進出を図ったのです。そしてさらにボヘミアン・グラス製品は多種多様を極め、深紅色、濃青色に代表される色ガラスや、金箔に図様を刻んで2層の器壁で挟んだガラス器なども生まれました。
■19世紀−更に技術が進歩
18世紀〜19世紀にかけて、戦争その他の要因により、ボヘミアンガラスの輸出は一時衰退しますが、19世紀のロマン主義の昂揚とともに鮮やかな着色が注目を集め、再びヨーロッパ市場を支配することとなります。加えて、エングレーヴィングの技術も大きく進歩し、モデルを用いて人物像なども彫り込まれるようになりました。
その後時代の変遷に対応しながら、様々な芸術の要素を取り入れつつも、伝統的な手法を守り続けて、ボヘミアングラスは今日に至っています。
そこにはあくまで技法にこだわりつつも、貪欲に新しい流行を取り入れていったボヘミアの職人気質が、感じられます。
もう一度手元のグラスをゆっくり眺めて、どのような工程を経て作られていったのか思いを馳せるのも、さらにワインの味を深めてくれるかもしれません。
|